北条氏政、風間出羽守に、信濃・遠江国境での戦功を賞す
注進状之趣、何も心地好候、為致絵図見届候、然者大手陣弥吉事連続、於信州遠州之境、山家三方衆千余人討捕、信州者無残所候、当口へも定使可見届候、毎日人衆打着候間、能ゝ首尾を合、可打出候、無二此時可走廻候、謹言、 九月十三日 …
注進状之趣、何も心地好候、為致絵図見届候、然者大手陣弥吉事連続、於信州遠州之境、山家三方衆千余人討捕、信州者無残所候、当口へも定使可見届候、毎日人衆打着候間、能ゝ首尾を合、可打出候、無二此時可走廻候、謹言、 九月十三日 …
御札祝着候、余無御心元候故、自是申達候キ、河尻参着者、可有御披見候、 一、陣庭堅固、先肝要候、対陣迄ニ候、抑一城道中ニ有之さへ、依所不被通ハ常之習候、一万之遠州衆在陣候を、縦廻路少ゝ自由候共、可押上之勝利、我ゝハ一切不及 …
[竪切紙]走入之者申口聞届候、委細先書ニ申候、然者廿六之懸合之模様者、其以後度ゝ飛脚来候、是非無之間、不審ニ候、恐ゝ謹言、 九月六日 氏政(花押) 内藤太和守殿 磯彦左衛門殿 宇野監物殿 →戦国遺文 後北条氏編2407 …
去廿一日之御注進状、昨廿二於中途披見、抑去廿日、従厩橋人衆払而乗篭候之処、被防戦、号入江者為始十余人被討捕、被得勝利之由、御出陣之御物先与云、寄特之仕合、雖毎度之事候、感悦不浅存候、委曲於先陣可申述之間、省略候、恐ゝ謹言 …
[折紙]内ゝ自是可申入之由存刻預使者候、御書面一ゝ得心申候、此度小諸長ゝ御在城、昼夜之御苦労更難申尽候、於愚存者御苦労之段、朝暮雖覚悟候、手前之事候間、以使さへ不申入候、背本意候、番所大道寺被相渡、当陣江御移者、満足候、 …
廿六日一翰今朔日披見候、去廿二出馬、非豆州表候、向甲州至于深沢出馬、彼表作毛相州一国之鍬持を集、悉無残所穿鑿候、敵一騎一人不出逢候、然間去月廿七令帰陣候、就中自然敵返動境目へも可成歟与校糧、今日五手六手豆州表半途迄指越候 …
「[封書上書]仁杉与兵衛殿」 去九月岩下口へ馳、乗籠、敵壱人討捕之由、富永能登守披露、高名之至無比類候、弥走廻ニ付而者可引立者也、仍而如件、 天正八年[庚辰] 六月十六日 (北条氏政花押) 仁杉与兵衛殿 →小田原北 …
就当国出馬、来札披見候、此表仕置如存分申付候、為如何此度無参陣候哉、不審候、仍獵燭到来、祝着候、恐ゝ謹言、 七月廿日 氏直(花押) 富岡六郎四郎殿 →戦国遺文 後北条氏編2378「北条氏直書状写」(富岡家古文書) 天正 …
定 一、此度滝川左近将監与於上州前橋合戦之刻、父子前登進敵ト戦大勢ヲ追崩、殊ニ首取候事、又無比類働一人当千也、此度勧賞、相州愛甲郡於奈良沢郷弐百貫文之所宛行者也、仍如件、 天正十年[壬午] 発仙 奉之 七月廿三日 山口 …
史料を何度も見ているうち、最初の解釈の通りではないかも知れないと気づいた。 何方之押ニ候哉、 まず氏政はここで質問している。「押」というのは部隊を繰り出す部分を指す。この質問と文末「乍次申候」から考えて、出撃地点の決定 …