廿六日一翰今朔日披見候、去廿二出馬、非豆州表候、向甲州至于深沢出馬、彼表作毛相州一国之鍬持を集、悉無残所穿鑿候、敵一騎一人不出逢候、然間去月廿七令帰陣候、就中自然敵返動境目へも可成歟与校糧、今日五手六手豆州表半途迄指越候、此外無珍儀候、依之下総衆悉相返候、今程能ゝ休息、来秋之支度専一候、随両種到来、令賞翫候、又一合進之候、恐々謹言、
五月朔日
氏政(花押)
酒井伯耆守殿
→小田原北条氏文書補遺100「北条氏政書状」(『思文閣古書資料目録187号』所収文書)
小田原市史では天正9年に比定。『後北条氏年表』でも同年比定しているが、前後の文書から天正8年でも成立すると考えられる。
26日の書状を今日1日に拝見しました。去る22日に出馬、伊豆ではなく甲斐国へ向かって深沢に馬を出しました。あの方面の作物は相模国の鍬持ちを集めて残すところなく悉く掘り返しました。敵は1騎・1人とも遭遇しませんでした。そうこうするうち、先月27日に帰陣しました。とりわけ万一敵が引き返して国境に行くかとも考えて、今日5手・6手に伊豆国方面の途上へ配置しました。このほか珍しいことはありませんでしたので、下総衆を全て帰しました。今はよくよく休息して、来る秋の準備に専念するのが大切です。さて、両種が到来したのでいただきます。また1合をお送りします。