北条氏直、某が甲斐北谷で挙げた戦功を賞す
[切紙]去十七於甲州北谷表、敵一人討捕候、高名之至感悦候、弥可走廻者也、仍如件、 八月廿二日 (北条氏直花押) →戦国遺文 後北条氏編2400「北条氏直感状」(加藤嘉之氏所蔵文書) 天正10年に比定。宛所欠。 去る1 …
[切紙]去十七於甲州北谷表、敵一人討捕候、高名之至感悦候、弥可走廻者也、仍如件、 八月廿二日 (北条氏直花押) →戦国遺文 後北条氏編2400「北条氏直感状」(加藤嘉之氏所蔵文書) 天正10年に比定。宛所欠。 去る1 …
[切紙]去十七於甲州北■表、敵一人討■■、高名之至感■■、弥可走廻者■、仍如件、 八月廿二日 (北条氏直花押) 河田新四郎■ →戦国遺文 後北条氏編2399「北条氏直感状」(秩父市立図書館所蔵新井文書) 天正10年に比 …
疾以直状雖可申述候、不知案内之間、先以遅ゝ非心疎候、抑無際限長陣、殊遠国与云、切所与云、及寒天不一方儀共、更ニ御辛労不申立得候、就中御坂普請出来之上、仕置已下、委細左衛門佐ニ申付候条、被相談尤肝要候、恐ゝ謹言、 十月廿五 …
今度阿形岩江相働、敵金田妙嘉之介討取、働無非類之由、嘉悦之至候、依之、廿壱貫三百五拾文、野上用土分・新井共ニ為合力之間、慥ニ請取、向後弥可抽忠信者也、仍如件、 午 八月廿一日 山崎弥三郎殿 →戦国遺文 後北条氏編239 …
其手之模様注進遅ゝ間、機遣候キ、江雪所へ之状、具ニ見届候、然者大事之様子、七日ニ箕輪原へ陣寄以来、一切無是非候、不審千万ニ候、至于対陣ハ、別ニ勘も無之候間、能ゝ模様見聞之上、遂出馬、甲州へ打入外有間敷候、不然ハ於彼表之対 …
只今注進之処、自信濃、すつは共五百ほと参、其地可乗取之由、申来候、昼夜共ニ能ゝ可用心候、きてゝゝ江何時も、宵あかつき夜明番、肝要ニ候、何時も一番九ツと之間あけ出、此用心尤ニ候、只今さむ時ニ候間、月夜ならては、しのひはつく …
両通昨十日[申刻]参着、再往再返披見、先以肝要至極候、信州作郡之面ゝ、弥忠信を存言、重証人進候歟、依之真田江集候人衆も、引散由専一候、子細者如何共候へ、是非之弓矢之際候間、未来之不及勘、速可取成所、千言万句ニ候、倉内表・ …
[切紙]於須山之往覆、敵壱人討捕参候、誠神妙ニ候、弥於彼口、抽而可走廻候、隨望可恩賞候、仍太刀一腰遣候状如件、 十月十日[「有効」朱印] 芹沢玄蕃殿 →戦国遺文 後北条氏編2429「北条氏政感状」(芹沢勘策氏所蔵文書) …
[折紙]伴野藤兵衛殿御老母、其地へ指移申候、然者、宿之事、其方所ニ置可申候聞、苦労ニ候共、やと可致之候、他国衆之事ニ候間、一入於何事も不在無沙汰、懇比申、万馳走可為肝要候、用所之義をハ、何事成共、筑後守ニ可相談候、毛頭も …
御札披見、殊ニ三種給置候、誠以畏悦此事候、今度東口之儀者不及申、北国表迄御行、定而可為御満足候、然而先段御屋敷分之事、急度被御聞届、自拙者可申上由、内大思召候者、自内大御札一通可給候、涯分御取成可申候、遅々候而ハ、弥可有 …