北条氏直、一宮氏に、甲信への長陣の労をねぎらう
帰陣以来者無音之間、及一翰候、抑今度向信甲出張候処、■■在陣苦労之至候、仍樒柑■合進候、恐ゝ謹言、 十一月廿二日 氏直(花押) 一宮殿 →戦国遺文 後北条氏編2448「北条氏直書状」(大坪文書) 天正10年に比定。 …
帰陣以来者無音之間、及一翰候、抑今度向信甲出張候処、■■在陣苦労之至候、仍樒柑■合進候、恐ゝ謹言、 十一月廿二日 氏直(花押) 一宮殿 →戦国遺文 後北条氏編2448「北条氏直書状」(大坪文書) 天正10年に比定。 …
[折紙]此度可致忠信由、しんみやうニ候、はたらきしだい、大くるみあいわたすに付而者、馬上之者に十貫つゝ、かちしゆニ者三貫つゝ、いといもり下く屋ぬます之内をもつて、ふちよすへしく候、いつれもあひたんち、きつそくちうしんもつ …
[切紙]去年十月廿八日、向倉内相動、於森下、敵一人討捕、高名無比類候、弥可抽戦功者也、仍如件、 未 二月十五日 (北条氏邦花押) 荒木主税助殿 →戦国遺文 後北条氏編2496「北条氏邦感状」(林厚一氏所蔵文書) 天正1 …
[竪切紙]急度令啓候、今般遠境御長陣、万端御苦労令察候、遠国就令在陣、疎意之様ニ存計候、仍徳川家康和親望之趣、頻而申候間、時儀落着、尽未来際可有入魂ニ相定候、然者今十二武州へ被納馬候条、三日之内令帰宅候、軈而可為御帰国候 …
[切紙]去月廿七沼田衆向津久田相動砌、及仕合押崩、敵二人討捕候、高名之至、神妙候、弥可走廻候也、 霜月十二日 (北条氏直花押) 狩野大学助とのヘ →戦国遺文 後北条氏編2443「北条氏直感状」(狩野勝次郎氏所蔵文書) …
[切紙]去月廿七沼田衆向津久田相動砌、及仕合押崩、敵一人討捕候、高名之至、神妙候、弥可走廻候也、 霜月十二日 (北条氏直花押) 須田弥七郎とのヘ →戦国遺文 後北条氏編2444「北条氏直感状」(須田文書) 天正10年に …
[切紙]去月廿七沼田衆向津久田相動砌、及仕合押崩、敵一人討捕候、高名之至、神妙候、弥可走廻候也、 霜月十二日 (北条氏直花押) 須田勘丞とのヘ →戦国遺文 後北条氏編2443「北条氏直感状」(須田文書) 天正10年に比 …
去秋当方江一味之由、及聞ニ付而、可及一翰雖覚悟候、二三ヶ年隠遁、閉口之間、乍存打過候、然珍札并馬一疋[河原毛]、鮭十尺、到来喜悦候、何様自是可申候条、不能具候、恐ゝ謹言、 十二月二日 氏政(花押) 長尾左衛門入道殿 → …
[切紙]三挺 鉄炮 三張 弓 十本 鑓 四人 歩者 已上廿人 右、小諸為当番、大道寺駿河守指置候、依之上州衆指添候、大切之番候間、右之員数一人無不足、同名衆同心衆之内覚之衆を以、可相勤候、何も記交名可指上、番帳ニ可留置 …
去十七於甲州北谷表、敵一人討捕候、高名之至感悦候、弥可走廻者候也、 八月廿二日 (北条氏直花押) 山本与太郎とのヘ →戦国遺文 後北条氏編2401「北条氏直感状写」(武州文書所収秩父郡清右衛門所蔵文書) 天正10年に比 …