武田勝頼、真田信綱に、長篠方面の作戦を伝える
長篠之模様無心許之旨、節々被入芳札快然ニ候、去五日其表御旗本陣場ヘ打出之由候、遠州動之衆者、直二俣通長篠へ可出勢之旨、成下知候、然則勝利無疑候、吉左右自是可申越候、恐々謹言、 九月八日 勝頼(花押) 真田源太左衛門尉殿 …
長篠之模様無心許之旨、節々被入芳札快然ニ候、去五日其表御旗本陣場ヘ打出之由候、遠州動之衆者、直二俣通長篠へ可出勢之旨、成下知候、然則勝利無疑候、吉左右自是可申越候、恐々謹言、 九月八日 勝頼(花押) 真田源太左衛門尉殿 …
其已後之行如何、聞届度候、仍敵于今長篠在陣之由候条、其許之動有工夫、如何様ニも家康其表へ分人数、長篠後詰ニ成候之様、穴左・消遙軒・朝駿・岡丹・岡次等有談合、調略尤ニ候、畢竟二俣へ付飛脚、家康引間迄退散之有無被聞届、可被入 …
跡部美作守帰候間、染一筆候、長々在陣、留守中窮屈令推量候、大概明隙候条、月合候者可帰陣候、可心易候、猶兄弟衆中好申候て、可被待帰府候、恐々謹言、 八月廿日 信玄(花押) 聖道ヘ →戦国遺文武田氏編2094「武田信玄書状 …
返々半左衛門尉殿之儀、不及是非事とハ申なから、御せうしにて候、御書を被遣候ハんか、明日御馬を被納候間、御取紛之時分ニ候条、我々より申越候、なさま遠州より重而可申入候、其元御存分之由、先以目出度候、以上、 其表之様子急度 …
祝田郷徳政之事、去寅年以 御判形雖被仰付候、銭主方令難渋、于今就無落着、本百性令許詔之条、任先 御判形旨許詔、不可許容者也、仍如件、 永禄十一[辰] 十一月九日 関口 氏経(花押) 次郎 直虎(花押) 祝田郷 禰宜 …
其谷徳政事、去寅年以 御判形雖被仰付候、井主私被仕候而、祝田郷中・都田上下給人衆中、于今徳政沙汰無之候間、本百性只今許詔申候条、任 御判形旨可被申付候、寅年被仰付候処ニ、銭主方令難渋、于今無其沙汰儀、太以曲事ニ候、此上銭 …
徳政之事すまし候て、関越より御状井次ヘ一つ、家中衆へ一つ遣之候、先以御心易候、都田のも一つ取候、祝田・都田両郷之事ハ、何も惣次■■へく候、小但へ委細申候間、小但を能々被頼入候て、軈而井次より被仰付候様ニ尤候、此上者誰人も …
月はくニ候而無御披露候ゆへ、当年相澄候ハす候而、此方ニ而越年候、さりなからかわる儀候ハぬ間、可有御心易候、就中、彼儀も御そうしや少も御隙なく候而、相とゝのわす候、はるハ早々相調可申候間、我等ニまかせられへく候、小但と此方 …
彼一儀種々越後殿へ申候、先年御判形のすちめにて候間、御切紙御越候ともくるしからす候へ共、我等共御奉行まへにてさいきよニむすひ候て、御ひらうなきまへニいかゝのよしおほせ候、又二郎殿のまへをなにとかとおほしめし候やうに候間、 …
猶以、是迄御尋、過当之至、難申上候、其以来者、無音信、背本意奉存候、何様自是可得尊意候、かしく、 被入御念、是迄預御使僧候、誠以忝奉存候、如尊意、此度不慮成儀共、更可申達様も無御座候、我等躰迄めいわく仕候、乍去、拙者なと …