其谷徳政事、去寅年以 御判形雖被仰付候、井主私被仕候而、祝田郷中・都田上下給人衆中、于今徳政沙汰無之候間、本百性只今許詔申候条、任 御判形旨可被申付候、寅年被仰付候処ニ、銭主方令難渋、于今無其沙汰儀、太以曲事ニ候、此上銭主方如何様之許詔申候共、許容有間敷候、為其一筆申入候、恐々謹言、
八月四日
関越 氏経(花押)
井次 参
→戦国遺文 今川氏編2183「関口氏経書状」(浜松市北区細江町中川・蜂前神社文書)
永禄11年に比定。
その谷の徳政のこと。去る寅年にご判形をもってご命令になったとはいえ、井伊主水佑が私的譲歩をして、祝田郷中と都田上下の給人衆中が今も徳政を行なっていないと、本百姓が現在訴訟してきたので、ご判形の通りにせよと申し付けられました。寅年に仰せ付けられましたところに、銭主が難渋して、今もその処置がないこと、本当に遺憾です。この上は、銭主がどのような訴えを申し立てても、許容することがあってはならない。そのために一筆を申し入れます。