祝田郷徳政之事、去寅年以 御判形雖被仰付候、銭主方令難渋、于今就無落着、本百性令許詔之条、任先 御判形旨許詔、不可許容者也、仍如件、
永禄十一[辰] 十一月九日
関口 氏経(花押)
次郎 直虎(花押)
祝田郷 禰宜
其外百性等
→戦国遺文 今川氏編2193「井伊直虎・関口氏経連署状」(浜松市北区細江町中川・蜂前神社文書)
祝田郷の徳政のこと。去る寅年に御判形によってご命令になったとはいえ、銭主が抗議して今も落着しない。本百姓が訴訟してきたので、先の御判形のとおりに許容しない。
祝田郷徳政之事、去寅年以 御判形雖被仰付候、銭主方令難渋、于今就無落着、本百性令許詔之条、任先 御判形旨許詔、不可許容者也、仍如件、
永禄十一[辰] 十一月九日
関口 氏経(花押)
次郎 直虎(花押)
祝田郷 禰宜
其外百性等
→戦国遺文 今川氏編2193「井伊直虎・関口氏経連署状」(浜松市北区細江町中川・蜂前神社文書)
祝田郷の徳政のこと。去る寅年に御判形によってご命令になったとはいえ、銭主が抗議して今も落着しない。本百姓が訴訟してきたので、先の御判形のとおりに許容しない。