織田信長、上杉輝虎に、長篠合戦の様子を報告する
去月十九日書札、今日令披閲候、如来意、武田四郎至三・信堺目動候条、即時令出馬、去月廿一日遂一戦、切頽属平均候、其趣自陣所以使者申遣候、定可為参着候、信長畿内其外北国・南方之儀付而取紛候刻、武田信玄遠・三堺目へ動罷出候ツ、 …
去月十九日書札、今日令披閲候、如来意、武田四郎至三・信堺目動候条、即時令出馬、去月廿一日遂一戦、切頽属平均候、其趣自陣所以使者申遣候、定可為参着候、信長畿内其外北国・南方之儀付而取紛候刻、武田信玄遠・三堺目へ動罷出候ツ、 …
急度染一筆候、仍今度至駿州雖敵動候、其谷無事満足候、光明之番申付候間、定可被移候歟、弥谷中堅固備任入候、就中子息小四郎此度長篠於法元、最前越川則合鑓、別而粉骨誠感悦ニ候、其上無何事被退之儀、勝頼大慶不過之候、猶玄蕃頭江尻 …
一書之趣永々敷候へ共、東国辺之体、其方へ不相聞由候条、大形有姿申展候、 別紙之趣、今披閲候、京都之体先書申旧候、公儀真木嶋江御移候、御逗留不実之由申候キ、無相違於時宜者不可有其隠之条、不能重説候、仍江州北郡之浅井、近年対 …
Spamコメントが多かったため、年末よりSpamコメントのブラックリスト「bsb.spamlookup.net」を使用していました。このリストの効力が国内IPに及んでいたため、正規のコメントも受け付けられていない状態にな …
< blockquote> 定 其方本屋敷并義元隠居屋敷被下置候、自今已後私宅等被相構、可有居住之由、被 仰出候者也、仍如件、 元亀四[癸酉] 十一月廿日[竜朱印] 跡部大炊助奉之 岡部丹後守殿 →戦国遺文 今川 …
用山様・同天澤寺様、二親之御いはひ田として、島崎二反、同三谷門前、さき切おこし反銭、共に相副申、令寄進所、依如件、 永禄三年庚申霜月十七日 四宮図書之助 輝明(花押影) 圓成寺江参 →戦国遺文 今川氏編2721「四宮輝明 …
去辰十二月九日、駿・甲之境錯乱之処、従其刻同心被官、過分相拘走廻候、殊巳二月朔日、穴山・葛山方為始、大宮城江雖成動、手負・死人仕出、還而失勝利引退候、同六月廿三日、信玄以大軍彼城江取懸、昼夜廿日余費、雖及種々行候、堅固相 …
於高天神甲斐方人数寄来所、各加勢無比類故、敵無相違追出、令感候、弥忠節候ハゝ、敢如在有間鋪者也、 元亀二年三月廿九日 家康書判 小笠原民部少輔殿 同 右馬佐殿 同 左衛門佐殿 富士宮若丸殿 但軍代 長野信濃殿 富田 …
此度西原小屋へ敵取詰候処ニ、彼地ニ籠走廻候、無比類候、弥於相稼者、御本城様へ申上、可引立者也、仍状如件、 永禄十三[午庚] 五月廿二日 氏忠(花押) 西原源太殿 →戦国遺文 今川氏編2455「北条氏忠感状」(沼津市三枚 …
小鹿民部少輔方於河野庄合力拾五貫文之内、五貫文被売渡、民部少輔方任証文之旨、永不可有相違、陣番役等之儀者、如年来民部少輔方可被勤之、他国人買跡之間、諸役不可有之者也、仍如件、 [年号見江不申候] 十一月九日 氏真判 法 …