急度染一筆候、仍今度至駿州雖敵動候、其谷無事満足候、光明之番申付候間、定可被移候歟、弥谷中堅固備任入候、就中子息小四郎此度長篠於法元、最前越川則合鑓、別而粉骨誠感悦ニ候、其上無何事被退之儀、勝頼大慶不過之候、猶玄蕃頭江尻在番候之間、用所等可被相談候、恐々謹言、

六月七日

 勝頼 判

天野宮内右衛門殿

→戦国遺文 今川氏編2569「武田勝頼書状写」(浜松市天竜区春野町・天野家文書)

天正3年に比定。

取り急ぎお伝えします。この度駿河国に敵が侵入したのですが、その谷が無事で満足です。光明の守備を申し付けましたので、きっと移られたのでしょうか。谷を堅固に備えるよう、ますますお願いします。とりわけ息子の小四郎は、この度長篠の法元において、前線で川を越えて槍を合わせ、格別の粉骨をし本当に感じ入りました。その上で何事もなく退かれましたこと、勝頼の喜びはこれに過ぎるものはありません。なお、玄蕃頭が江尻に当番でおりますので、用向きがあれば相談して下さい。

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