武州河越籠城之内走廻、特ニ去正月松山筋伏兵之砌、敵以多勢雖馳向候、旁ゝ尻持被成之故、無相違候、誠以神妙之至候、帰宅之上、氏政江取合可申、為証文、判形進置候者也、仍如件、
永禄四年 辛酉
壬三月廿七日
左衛門佐
氏尭(花押)
畑彦十郎殿
→神奈川県史 資料編3「北条氏尭判物」
武蔵国川越で籠城に奔走し、特に今年1月に松山方面に伏兵をした際、敵が多勢でいるところに馳せ向かい、その一方で殿も勤めたのは相違のないことです。本当に素晴らしいことです。帰宅した上で氏政へ報告します。本状を証文として、判形を据えてお渡ししておきます。