徳川家康、松井左近に津平砦構築を命じ恩賞として津平知行を約束する
一 今度東條津平仁致取出、為勲功津平之郷一円、永令領掌畢、 一 於津平敵之給人衆令忠節、雖罷退候、判形出置之上者、於津平之儀者、不可有相違事、 一 万一無事之儀候共、於津平不可有違乱事、 右条々相定之上者、永不可有相違者 …
一 今度東條津平仁致取出、為勲功津平之郷一円、永令領掌畢、 一 於津平敵之給人衆令忠節、雖罷退候、判形出置之上者、於津平之儀者、不可有相違事、 一 万一無事之儀候共、於津平不可有違乱事、 右条々相定之上者、永不可有相違者 …
壬戌年七月廿六日崇山中山落城之砌、其方為高名西郷新左衛門子令生捕、則良知披官中谷清左衛門ニ被相渡候処ニ、依取逃之、彼清左衛門于今ニ令山臨候処ニ、其方曲事之由大原肥前守被申候間、今度其子細申分之上被聞分候間、度々忠節奉公申 …
去廿二日之夜、三州大塚之城以一身之籌策乗取之、殊被疵別而竭粉骨之旨、太以感悦也、弥可抽軍忠之状如件、 九月廿八日 上総介 書判 牧野八太夫殿 →愛知県史 資料編11「今川氏真感状写」(三川古文書) 1562(永禄5)年に …
「御局御奉書」 「仰 天文十■■ ■」 するかとおはりとくわほくのこと、たいけんちやうらうへちよくしよつかハされ候、さおひなき事にて候ハゝよろこひおほしめし候へく候、御しゆりの事なとも、おほせいたされ候へきにて候つる、と …
就田舎忩劇、当年御礼遅怠致迷惑候、以御次御執成本望存候、仍去六月廿四日於攝州不慮之一戦、右京大夫被失利之由候、京都之様体無心元候条、即可申上候処、三川・尾張之境、依令鉾楯緩怠候、宜預御執合候、猶重可申入候、恐々謹言 八月 …
二日、丙辰、晴、牟礼、飯尾長門、甘利佐州、矢部縫殿之中へ一首遣之、同牟礼贈答、 わすれめやかゝる情の花もなを匂ふ千枝の里のかりふし 拾 こゝもけに匂ふ千枝の花なるにかへるさいそく雲の上人 元誠 朝〓(冫+食)以後起藤 …
信州伊那郡箕輪城攻、四月十一日当国御出陣、六月十七日御帰府、降参被申含、弟御供御馬入、御合力勢駿州ヨリ三百、相州三百、 →静岡県史「歌仙板額」(山梨県大井大俣神社旧蔵) 信濃国伊那郡箕輪城を攻め、4月11日にこの国を出陣 …
手負人数 天野小七郎 鑓手二ヶ所 松井二郎三郎 矢手三ヶ所 奥山小三郎 矢手壱ヶ所 大石新三郎 刀疵二ヶ所 花島三郎左衛門 矢手一ヶ所 気多清左衛門 鑓手二ヶ所 同名大郎兵衛 鑓手三ヶ所 同名新二郎 矢手壱ヶ所 …
禁制 白坂 雲興寺 一 軍勢甲乙人等濫妨狼藉之事、 一 於境内殺生并寺家門外竹木伐採、借宿事、 一 祠堂物買徳寄進田地、雖為本人子孫違乱事、 一 准総寺庵引得之地、門前棟別人夫諸役等、相懸入鑓責使事、 一 於国中、渡諸役 …
禁制 白坂 雲興寺 一 軍勢甲乙人等濫妨狼藉之事、 一 於境内殺生并寺家門外竹木以下所望付而陳執借宿之事、 一 祠堂物買徳寄進田地違乱之事、 一 准総寺庵別人夫等相懸并門前入遣責使之事、 一 飽津諸役以下造営付而免許之事 …