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徳川家康、松井左近に津平砦構築を命じ恩賞として津平知行を約束する

一 今度東條津平仁致取出、為勲功津平之郷一円、永令領掌畢、

一 於津平敵之給人衆令忠節、雖罷退候、判形出置之上者、於津平之儀者、不可有相違事、

一 万一無事之儀候共、於津平不可有違乱事、

右条々相定之上者、永不可有相違者也、仍如件、

永禄四

六月廿七日

源元康

松井左近殿

→新編岡崎市史「松平元康判物」(松井文書)

一、この度東条の津平に砦を作ることとなり、その褒美として津平郷一円を末永く拠出する。
一、津平において敵の給人衆が忠節を行って退却したとしても、判形を発行した上は津平のことは相違があってはならない。
一、万一開戦しなかったとしても、津平については違乱があってはならない。
右の項目を定めた上は、末永く相違があってはならない。

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