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山科言継、藤枝を発ち、遠江国掛川天然寺に宿泊する

二日、丙辰、晴、牟礼、飯尾長門、甘利佐州、矢部縫殿之中へ一首遣之、同牟礼贈答、

 わすれめやかゝる情の花もなを匂ふ千枝の里のかりふし 拾

 こゝもけに匂ふ千枝の花なるにかへるさいそく雲の上人 元誠

朝〓(冫+食)以後起藤枝一里、各六七騎ニ来了、二ッツカ迄来、岡部、

青嶋、藤嶋等過三里○金屋、左夜中山中程菊川、過二里三ツ坂、又過二里至懸川宿天然寺、浄土宗、則住持被出礼、湯麦吸物等ニテ一盞有之、則今井入道来、同従左京亮女中使有之、晩〓(冫+食)自城持来云々、

今朝

今川那古屋殿へ隼人遣之、太刀ニテ礼申候了、所労云々、

→静岡県史「言継卿記」(1557(弘治3)年3月記述)

 2日、丙辰、晴れ。牟礼・飯尾長門守・甘利佐渡守・矢部縫殿の面々に一首を贈る。牟礼が答える。
(和歌略)
 朝食の後藤枝郊外1里まで各々6~7騎が来ていた。岡部はニッ塚まで来た。青嶋・藤嶋などを過ぎて3里。金谷・小夜中山(中程は菊川)、2里を過ぎて三つ坂、また2里で掛川宿天然寺に至る。浄土宗で住職が挨拶に来た。湯麦吸い物などで酒席があった。今井入道が来て、同じく左京亮より女中の使いがあり、夕食は城から持ってきたという。
 今朝、今川那古屋殿へ隼人を使いに出した。太刀を贈ってお礼を申し上げた。労いを受けたという。

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