去廿二日之夜、三州大塚之城以一身之籌策乗取之、殊被疵別而竭粉骨之旨、太以感悦也、弥可抽軍忠之状如件、

九月廿八日

上総介 書判

牧野八太夫殿

→愛知県史 資料編11「今川氏真感状写」(三川古文書)

1562(永禄5)年に比定。

 去る22日の夜、三河国大塚の城、単身の策謀で乗っ取った。特に負傷したことは粉骨を尽くすものである。大いに感悦した。ますます軍忠にぬきんでるように。

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