(前欠)自西云、又対公儀忠儀、何事歟可過之候、能ゝ致塩味、何様ニも人衆之嗜専肝候、武具等致様、委細ニ書記畢、各少も無異議可致之候、抑軍法者、国家安危所也、就背法度者、随罪科之軽重、無用捨可申出条、兼而無誤様ニ致覚悟、可申付候、畢竟大藤前ニ可有之間、時ゝ刻ゝ寄子ニ者令助成、掟相違可申付事、可為忠信候、仍所定如件、

元亀二年 辛未

十一月六日

氏政(花押)

大藤式部丞殿

→小田原市史 「北条氏政判物写」(大藤文書)

 (前欠)西からと言う。また公儀に対しての忠義は、どのようなことであってもこれを超えないでしょう。よくよく考慮して、どのようにしてでも軍勢を揃えることが大切です。武具なども用意して、詳しく書類にまとめておくように。それぞれ少しの反対もなく行なうように。そもそも軍法とは国家の安危を司るものです。法度に背く者があれば罪状に応じて容赦なく申し出るよう、兼ねてより誤らないように覚悟を決めておくよう申し付けておきます。つまるところ大藤が統制すべきことなので、時々刻々寄子には手助けをして、掟に相違がないよう申しつけること。これは忠信となります。

岡本氏着到状の文言とほぼ一致するので、本来は大藤氏着到状であった可能性が高い。

今度代官堅固ニ相守、忠節之由承之、恩賞之儀、聊無相違可遣、氏真本意之上者、氏政可申立者也、

弘治三年八月十九日

氏政

富士郡山本村

吉野采女殿

→戦国遺文 後北条氏編・補遺「北条氏政判物写」(富士宮市・吉野文書)

 今度代官として堅固に守備して忠節であったことを聞いた。恩賞はいささかの相違もなく遣わそう。氏真に伝わるよう、氏政が申し伝える。

於三河国牛久保領之充行知行分之事

一所 賀茂山田方三拾弐貫文 附夫壱人

一所 八幡本所四拾弐貫文 附夫壱人

一所 長草八貫文 附夫弐人

一所 萩原方散田地拾八貫文

以上百貫文

右、父雅楽助先年牧野民部丞雖企逆心令内談に、八太夫不同意罷退之段、為忠節之条、永所充行也、向後千疋之程者、余慶可所務之、其外之過上者可進納之旨、任先判畢者、専此旨可抽忠功之状如件、

永禄参 庚申年

十月八日

氏真印

岩瀬小次郎殿

→愛知県史 資料編11 「今川氏真判物写」(士林泝洄)

 右の件、父の雅楽助が先年牧野民部丞が『逆心』を企て内談したところ、八太夫は同意せず退いたことは忠節をなすものである。今後1000疋程の所領を給付する。余慶としてこれを治めるように。その他の余剰分を納付することは先の承認の通り。この旨をもっぱら守り忠功にぬきんでるように。

今度菅沼新八郎令逆心之処、不致同意、従野田牛久保江相退無二忠節馳走之段、甚以神妙之至也、為其賞従来年代官職一所可申付之、然者以他之地内弐拾貫文、為新給恩可扶助也、弥於励奉公者、重而可加扶助者也、仍如件、

永禄四 辛酉 年

十二月九日

氏真(花押)

岩瀬小四郎殿

→静岡県史資料編7 「今川氏真判物写」(菅沼文書)

 この度菅沼新八郎が反乱した際、これに同意せず、野田から牛久保に退き無二の忠節と奔走をしてくれたことは、とても神妙である。その恩賞として来年より1箇所の代官職を与える。他の土地から20貫文を新たな給恩として与えよう。いよいよ奉公に励むならば、さらに重ねての加増があるだろう。

(今川氏真花押)

今度菅沼小法師赦免之儀、馳走神妙也、然者設楽三郎以知行之内百五拾貫文加扶助畢、守此旨、弥家中之者共加異見可抽忠節之状如件、

永禄五 壬戌

正月十四日

菅沼次大夫殿

→静岡県史資料編7 「今川氏真判物写」(集古文書所収菅沼正義文書)

 今度菅沼小法師を赦免した件で、奔走したのは神妙である。設楽三郎の知行から150貫文を扶助する。この旨を守り、家中の者たちに意見をしていよいよ忠節にぬきんでるように。
 

一今度赦免之上、近年父大膳亮令所務本地、悉令還附事

一為新知行設楽三郎以本領之内弐貫文令扶助事

一家中之者、近年於蔵前借儀雖為無沙汰、赦免之上者、自余之借儀寺方共不可及其沙汰、但当乱令味方者共手前之儀者、以本分可返弁事

一親類被官百姓寺社方共、為私雖企訴訟、一切不可及許容事

一平居城之事、至来年者可令破却事

右条々、永不可有相違、守此旨弥可抽忠節者也、仍如件、

永禄五 壬戌 年

正月十四日

氏真 判

菅沼小法師殿

→静岡県史資料編7 「今川氏真判物写」(奥平松平家古文書写)

 一、今度は赦免とするので、近年父の大膳亮が治めていた領地を全て還付すること。
 一、本領のうち2貫文をもって設楽三郎の新知行として扶助すること。
 一、家中の者が近年蔵から前借していた分は沙汰止みとなっていたが、赦免となったので自他の借金額のことは寺方ともども沙汰に及んではならない。但しこの反乱で味方した者たちの手元は元本を返済すること。
 一、親類・被官・百姓・寺社全てにわたり、勝手に訴訟を企てることは一切認めないこと。
 一、平居城のことだが、来年までには破壊しておくこと。
右の条項は末永く相違ない。この旨を守ってますます忠節にぬきんでるように。

就今度進発、為立願於重原料之内百貫文、為新寄進永令奉納也、但料地事■■■改之可申付、以此旨可抽武運長久之懇祈之状如件、

天文十九年九月廿七日

治部大輔(花押)

亀田大夫殿

→静岡県史 「今川義元判物写」(勢州御師亀田文書)

 この度の進発について、願掛けとして重原の領地のうち100貫文を、新規の寄進として末永く奉納する。但し領地のことは(奏者が?)改めて申し付けるだろう。このことにより、武運長久の祈祷にますますぬきんでるように。

遠江国幡鎌郷之事

右、父靱負入道、今度高林藤左衛門屋敷江相移候、其上被官人討死、手負数多出来、捨身候故、存忠節之段、尤以神妙也、然者彼地仍為不領、今度遂訴訟之条、為新知行補任永不可有相違、縦同名源兵衛尉雖企訴訟、匂坂逆心之刻令同意之間、一切不可許容、兼尤同名半平年来新野左馬助方雖為同心、自今已後山虎令同心合力之間、令与力陣番等可相勤候、以寺社領事可為如前々、守此旨弥可抽奉公之状如件、

永禄七年十月廿一日

上総介

幡鎌山虎殿

→静岡県史 資料編7「今川氏真判物写」

 遠江国幡鎌郷のこと。右のことですが、父の靱負入道がこの度高林藤左衛門の屋敷へ突入し、その上で被官が討ち死にし負傷者が多数生じました。身を捨てて忠節を行なったことは最も神妙であります。ですからあの地を領有できず訴訟中であった案件で新しい知行を与えることは末永く相違ありません。たとえ同姓の源兵衛尉が訴訟を企てるといえども、(彼は)匂坂が逆心した際に同意したものですから、一切許容しません。その一方、同姓の半平が年来新野左馬助の同心となっていましたが、これからは山虎の同心とします。与力として陣番を勤めさせて下さい。寺社領のことは前々のようにすること。このことを守っていよいよ奉公にぬきんでるように。

(今川氏真)判

同名中并牧野伝兵衛・高林源六郎・気賀伯父甥、此人等去年令逆心之条、雖可遂成敗、長能入道依無無沙汰令懇望之条、各免除、然者自今以後可抽忠節之旨、三縁右衛門大夫父子言上之旨、横合之申状於在之者、彼両人遂糾明可決是非者也、仍如件、

永禄八

十二月廿六日

匂坂六右衛門入道殿

→静岡県史 資料編7「今川氏真判物写」

 同族の人たちと牧野伝兵衛、高林源六郎、気賀の伯父と甥、この人々は去年逆心したので、成敗するべきであるが、長能入道がたゆむことなく懇願したことにより、それぞれを免除する。であるので、今後は忠節にぬきんでるべき旨、三縁右衛門大夫父子がこれを言上する。横合いから申し上げる事柄がある場合は、両人は糾明して是非を決すること。

下条内弥門之分弐十壱貫八百六拾文并孫六分弐拾貫参百余之事

右就今度上野城所用、黄金百両・代物百貫、合参百参拾貫之分、令取越之条、宛行畢、永不可有相違、急用相調故忠節也、若彼郷自余之人江雖宛行之、只今出置分ハ、為各別可相除、此分限役之事者、可所務者也、仍如件、

弘治二年 丙辰

二月三日

治部大輔(花押)

戸田伝十郎殿

→静岡県史 資料編7「今川義元判物写」

 下条のうち弥門の分20貫860文と孫六の分20貫300文余りのこと。右は今度上野城の所用金として、黄金100両と代替物100貫、合わせて330貫分を調達させたので、宛行なった。この件は末永く相違はない。急用であったが調達したことは忠節である。もしあの郷を他の人間に宛行なうとしても、今回の出置分は特別に控除する。この分限役のことは、所務するように。