遠江国幡鎌郷之事

右、父靱負入道、今度高林藤左衛門屋敷江相移候、其上被官人討死、手負数多出来、捨身候故、存忠節之段、尤以神妙也、然者彼地仍為不領、今度遂訴訟之条、為新知行補任永不可有相違、縦同名源兵衛尉雖企訴訟、匂坂逆心之刻令同意之間、一切不可許容、兼尤同名半平年来新野左馬助方雖為同心、自今已後山虎令同心合力之間、令与力陣番等可相勤候、以寺社領事可為如前々、守此旨弥可抽奉公之状如件、

永禄七年十月廿一日

上総介

幡鎌山虎殿

→静岡県史 資料編7「今川氏真判物写」

 遠江国幡鎌郷のこと。右のことですが、父の靱負入道がこの度高林藤左衛門の屋敷へ突入し、その上で被官が討ち死にし負傷者が多数生じました。身を捨てて忠節を行なったことは最も神妙であります。ですからあの地を領有できず訴訟中であった案件で新しい知行を与えることは末永く相違ありません。たとえ同姓の源兵衛尉が訴訟を企てるといえども、(彼は)匂坂が逆心した際に同意したものですから、一切許容しません。その一方、同姓の半平が年来新野左馬助の同心となっていましたが、これからは山虎の同心とします。与力として陣番を勤めさせて下さい。寺社領のことは前々のようにすること。このことを守っていよいよ奉公にぬきんでるように。

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