向佐貫敵動候処、不移時日被懸付、於宿城被走廻由候、肝要候、城内同心大切候、万事茂周被相談、堅固之備尤候、猶岩本可申越候、恐ゝ謹言、

卯月廿二日

 氏康(花押)

[宛名欠]

→戦国遺文後北条氏編412「北条氏康書状」(千葉市立郷土博物館所蔵原文書)

戦国遺文では1552(天文21)年、下山氏の後北条年表では同22年に比定。また、戦国遺文では『佐貫』を上総国天羽郡としているが、佐貫庄は上野国館林周辺が正しいと思われる。また、茂呂氏を『茂周』としているが、茂呂因幡守が確認されるため、『周』ではなく『因』の誤読と思われる。

 佐貫に向かって敵が出動しましたところ、時間をおかずに駆けつけて、宿城で活躍なさったとのこと。肝要です。城内で心を同じにすることが大切です。万事は茂呂因幡守にご相談なさり、堅固の備えをなすことがもっともです。さらに岩本が申し越すでしょう。

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