至于当口出陣、定而可為御満足候、今日者河鰭ニ取陣、佐野・新田領可放火候、然者御同名蔵人方十騎計ニて、茂弾手へ可被差越候、彼口案内者之由候間、諸事可相談候、将又新田覚ニ候間、一勢可遣候由、茂弾被申候、大谷藤大郎遣候、猶沢弥十郎可申候、恐ゝ謹言、
九月十一日
氏康(花押)
[宛名欠]
→戦国遺文 後北条氏編422「北条氏康書状」(千葉市立郷土博物館所蔵原文書)
戦国遺文では1552(天文21)年、下山氏の後北条年表では同22年に比定。
この方面に出陣し、きっとご満足のことでしょう。今日は『河鰭』(かわばた?)に陣を取り、佐野・新田領に放火するでしょう。ということでご同姓蔵人方の10騎ばかりを茂呂弾正へ派遣なさるでしょう。あの方面への案内者であるとのことですから、諸事相談するでしょう。または、新田が覚悟しているので、一部隊を遣わすようにと茂呂弾正が申されたので、大谷藤大郎を派遣しました。更に沢弥十郎が申すでしょう。