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酒井忠次、岡部三郎兵衛に、朝比奈又蔵と三浦十左衛門尉を今川氏真に取り成すよう依頼

尚以、余人御扶持被成候も同前之儀候間、彼両人被召出候様ニ御取合頼入存候、殊前々御証拠をも両人ニ被下候由候間、左様之儀も御取成尤候、

其地へ御陣被替之由、於府中ニ承候、仍朝比奈又蔵・三浦十左衛門尉罷退候而、如前々被召返候様ニと拙者江相頼被申候、 氏真様御前可然様ニ御取成候而可給候、前ニも相州迄御供申、十左衛門討死跡之儀候間、此時御扶持候様ニ御申頼入候、委細両人可被申入候、恐々謹言、

三月五日

 酒左 忠次(花押)

岡三兵 御陣所

→戦国遺文 今川氏編2618「酒井忠次書状」(滋賀県彦根市彦根城博物館所蔵三浦家伝来文書)

天正10年に比定。

さらにもって、余人をご扶持なされたのも同然のことですから、あの両人を召し出されますようにご検討をお願いいたします。特に前々のご証拠をも両人に下されたとのことですから、そのようなこともお取り成しなさるのがもっともです。

その地へご陣替えとのこと。府中において承りました。そこで朝比奈又蔵・三浦十左衛門尉が退いて、前からの通り召し返すようにと私へ頼んできました。氏真様の御前へしかるべきようにお取り成し下さい。前にも相模国までお供したと言っています。十左衛門が討ち死にした跡目のことですから、この時にご扶持なさるようお頼みいたします。詳細は両人から申し入れられるでしょう。

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