月: 2012年5月

上田長則、木呂子新左衛門に、状況に合わせて対応するよう内密に指示する

追而、三ヶ条之儀、諸人之比量不可然候間、申事ニ候、併於何事も、連ゝ存分ニ可相極候、是ハ以他筆ヒソカニ書付候、仍如件、 [午]五月十三日  朱印 木呂子新左衛門殿 →戦国遺文 後北条氏編2340「上田長則朱印状写」(岡谷家 上田長則、木呂子新左衛門に、状況に合わせて対応するよう内密に指示する

北条氏直、小幡兵衛尉に、西国勢の攻撃が近いことを報ず

「(懸紙ウワ書)「[異筆]天正十八寅三月十三到来」[墨引]小幡兵衛尉殿 自小田原[墨引]」 羽柴去三日京を立、五日之内駿河へ打着由、懸入之者共申候、然則敵之動可為近ゝ候、諸口之備堅固ニ候間、肝要候、於此上、為不可有油断、 北条氏直、小幡兵衛尉に、西国勢の攻撃が近いことを報ず

北条氏直、小幡兵衛尉に、西国衆の駿河沼津着陣を報ずるとともに、在所の備えの様子を問う

「[懸紙ウワ書]小幡兵衛尉殿」   覚 一西国衆至于沼津近辺打着由候事、 一其山手備模様之事、 一在陣之人衆之着到書立、可被指越事、   以上 二月廿四日 「[貼紙][「調」朱印]」 小幡兵衛尉殿 →小田原市史2031「 北条氏直、小幡兵衛尉に、西国衆の駿河沼津着陣を報ずるとともに、在所の備えの様子を問う

北条氏直、小幡兵衛尉に、高山在陣の労をねぎらい、蜜柑・酒を送る

[懸紙ウワ書]「「天正十八二月六日到来」(異筆) [墨引]小幡兵衛尉殿 自小田原[墨引]」 其元高山之在陣、別而苦労察入候、仍樒柑一籠・一種・江川一樽、進之候、恐ゝ謹言、 二月五日  [貼紙]「氏直(花押)」 小幡兵衛尉 北条氏直、小幡兵衛尉に、高山在陣の労をねぎらい、蜜柑・酒を送る

北条氏直、長尾新五郎に、小幡氏が氏邦の命に従わない時は、氏邦と相談、これを退治するため、出陣するよう命ず

小幡家中申事有之間、以房州及下知候、雖然、万乙不聞届者、可加退治候、至于其儀者、自房州可有一左右間、人衆払而召連有参陣、万端房州相談、可被走廻候、在所程近候間、郷人一揆以下迄相集、一途可被走廻候、恐ゝ謹言、 九月廿五日 北条氏直、長尾新五郎に、小幡氏が氏邦の命に従わない時は、氏邦と相談、これを退治するため、出陣するよう命ず