月: 2010年1月

阿部大蔵・酒井正家、中根弥太郎ほかが三木から寝返ったことを賞す

中根弥太郎殿ニ弐十貫文、大竹源六殿ニハ主の名田を城へ納候分進之候、相のこり七人ニ、百貫文進之候、少もふさた有ましく候、万一無為ニ罷成候共、三木へ返置候事ハ、八幡も照らん有ましく候、両人へ御まかせ候へく候、為後日如件、 天 阿部大蔵・酒井正家、中根弥太郎ほかが三木から寝返ったことを賞す

松平広忠、内藤甚三が三木から寝返ったことを賞す

今度大蔵以弄、此方へ御同心祝着候、如約束為給知百貫之分進置候、然者鷹落名田・野羽之前々の給分、不入ニ進之候、此両所相改、其都合ハはすみ所々ニ而引替、百貫之首尾ニ可被執候、猶委細阿大可申候、弥々御走舞候て、三木落居候やうニ 松平広忠、内藤甚三が三木から寝返ったことを賞す

松平広忠、父道甫の十三回忌供養として、三河国大樹寺に田畠を寄進する

道甫十三廻為孝養、御寺近所ニ候以真如寺領内参十貫目、永代寄進候、従此内公方年貢、大門築田方へ従御寺弐貫五百五十文可有御納所候、但依其年躰、けんミ可為次第候、田畠小日記別紙有之、作人者誰々雖○被官、被召放、御寺之可為御計候 松平広忠、父道甫の十三回忌供養として、三河国大樹寺に田畠を寄進する

三河国安城の与二郎ひろ定、深溝松平家への年貢納入を約束する

こゝもとなりかにて弐十俵、明年よりいらんなくしんしやう申へく候、すこしも無さた申ましく候、そのためこ一筆申候、かしく、 天文十三年 十一月十一日 ひろ定(花押) (ウワ書)「(墨引)ふかうす殿御上さま 参 人々御中    三河国安城の与二郎ひろ定、深溝松平家への年貢納入を約束する