5年目の随想
2007年8月27日の桶狭間合戦に挑むが最初のエントリだった。 このサイトを開設してちょうど5年目となる(実際にはその前に同じドメインでPukiwikiを使ったプレサイトもあったが、余り更新していなかったのでカウントして … 5年目の随想
2007年8月27日の桶狭間合戦に挑むが最初のエントリだった。 このサイトを開設してちょうど5年目となる(実際にはその前に同じドメインでPukiwikiを使ったプレサイトもあったが、余り更新していなかったのでカウントして … 5年目の随想
戦国時代全般でよく言われる「飢饉の時代」について、最近少し疑問に思っている。 食糧難ということは、人口に比べて食料生産が少ないということだ。しかし、史料を見ると実態は間逆の方向を指しているように見える。 この時代、 … 戦国時代は本当に食糧難だったのか
後北条氏がその最末期に分国総動員をかけた印判状は有名で「ひらひら武者めくように」という一節はよく引用される。では何故武者めかなければならないのだろうか。 同じく同氏の軍役規定では、宛所の給人が「馬上」であるように指示した … 武者めくという事
先日、早雲寺住持の明叟宗普を調べた折り、彼が氏康と同年齢だと知った。北条綱成も同い年となる。また、今川氏輝も同年なので、氏康室の瑞渓院殿も年齢は近い(氏輝と同母。姉か妹かは不詳)。幻庵の名で知られる北条宗哲は彼らの20~ … 後北条家中の長老
松山城主の上田長則が、元服したてと思われる木呂子新左衛門に宛てた文書を紹介した。「親の苦労(後見?)で最初は奉行するものだが、木呂子家は代々の近臣だから特別に扱う」と書いているので、新左衛門は父を失って幼くして元服、相続 … 上田長則の親心
著者は梅沢太久夫氏。神田の三省堂で購入。まつやま書房という東松山の地元で『比企双書』として出版している。 内容は本格的で、関東戦国史を調べる際にとても重宝するだろう。私はじっくり読もうと思う。 そもそも上田氏は権現山挙兵 … 『改訂版 武蔵松山城主上田氏』
瑞渓院殿の危篤と氏政の出馬延期の相関性を考えているが、天正10年の甲信侵攻作戦での氏政不出馬のケースともつながるように思えて興味深い。この時の氏政は天正3年の榎本攻略時より追い詰められていた。 氏直を主将とする「大手」は … 氏政天正10年も出馬できず
覚書:北条氏政、清水上野入道に、大方の病状を伝えるで謎として、氏政と清水上野入道の位置関係が不明であることを挙げた。 その後、上田案独斎・毛呂土佐守への氏政書状を見た。どちらも「太方」の病状について触れている。『後北条氏 … 瑞渓院殿の危篤と氏政の出陣延期
Androidでの文字入力が楽過ぎて、古文書のテキスト化と解釈作成もPCから移行しつつある。旧字体の入力にしてもマイナーな字だとWindowsではマウスによる手書きになる訳だから、始めから手入力の方が早い。 とはいえ、A … 古文書入力用端末GalaxyNote
文豪チャールズ・ディケンズは1812年2月7日にイギリスの軍港ポーツマスで誕生した。今日はその200回目の記念日なので、少し語ってみる。 彼は分冊形式で安く販売される連載小説の名手だった。英国史上初の大衆作家であり、勃興 … Happy Birthday,Mr.Dickens!