5年目の随想

2007年8月27日の桶狭間合戦に挑むが最初のエントリだった。

このサイトを開設してちょうど5年目となる(実際にはその前に同じドメインでPukiwikiを使ったプレサイトもあったが、余り更新していなかったのでカウントしていない)。これも一つの契機、日頃思っていることを取り留めなく書いてみようと思う。

いわゆる『桶狭間合戦』(このサイトでは『鳴海原合戦』)について、1次史料だけで再構築しようと考えていたのだが……思ったより史料の読み込みが必要で、データ入力作業をしているだけの展開になっている。5年を経て登録文書数は未だ千にも満たぬ。

現在の主題である鳴海原合戦については、2~3の仮説は既に出来上がっている。とはいえ戦国遺文今川氏編の完結が2013年秋となるため、それを待って仮説を完成できればと考えている状態だ。後2年といったところか……。

私事だが、去る3月の初旬に心臓を患うこととなった。不惑を大きく越えて桑年の方が近くなってしまった身。『終わり』は意識していたが、これ程強烈に思い知らされるとは予期していなかった。発作時の対応を誤らず無理をしなければ何事もないのだが、油断は禁物と医師に言われている。

一方奇遇なことに、生業も多事多端となってきた。私が勤めているのは小さな出版社だが、最早斜陽となって長い業界だから大変だったりする。ここ数年は、自分の部署だけではなく全社案件を扱う事が激増しているが、今夏から兄弟会社の諮問も相次いでいる。恐らく後1年は落ち着かないだろう。

とにもかくにも、図書館や古書店に立ち寄る回数も減り、歴史への着想に思いを巡らす頻度も落ちてきた。この隙のなさとGalaxyNoteによる古文書入力の簡便さから、ついついサイトの内容も文書アップばかりになっている。これは少し危険で、文書を読む度に小さな発見や解釈の迷いがあって「今度まとめてみよう」と思いつつも放置している。これを書き残しておかなければ、私の半端な解釈がそのまま流布してしまいそうだ。何とかせねば。

今振り返ると、5年前の文書解釈は結構未熟だ。それなりに解釈をこなしてきた目で見ると汗顔の至りである。何れ修正を試みたい。などと偉そうに書いているが、私は完全に自己流の解釈でしかない。以前「下行米」への指摘を匿名の方から頂戴したが、このような系統だった知識がないのだ(高校2年の日本史が最後)。戦国期の文書は解釈が難しく、識者の方もまだまだ勘で解釈している部分があると思う。だから私のような素人が跋扈する余地があるのだけれど、それでよいのかは自分でも疑問に思う。

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2 comments untill now

  1. 高村様、サイト開設5周年おめでとうございます。

     このところすっかりご無沙汰をいたしておりまして申し訳ございません。
    高村さんは、心臓を患われた由どうかご自愛ください。小生も同様に肝臓癌を患い、4月から5月まで手術入院で、その後はリハビリなどをしておりましたが、この暑さも伴い、体力気力共に失せておりたいへん失礼しておりました。

    閑話休題
     貴サイトとは、桶狭間合戦がご縁で、なんとかお近づきさせていただいたのでしたね。それ以来、色々とご教示いただきありがとうございました。
    現在の主題、鳴海原合戦のご研究のご進展を楽しみにしております。

    >戦国期の文書は解釈が難しく、識者の方もまだまだ勘で解釈している部分があると思う。だから私のような素人が跋扈する余地があるのだけれど、それでよいのかは自分でも疑問に思う。
     おっしゃるように、小生もまた素人が色々詮索しては書き記しておりますが、歴史学の先生方から「歴史学は生き物である」とよく聞かされます。特に現在は考古学からの史料に助けられて歴史学が成り立っているところも多々あり、新たな一つの発見が常識を覆してしまうと言われています。ですから、歴史学の先生からは「今教えていることは昨日までに判っていることであり、明日新たな発見があれば、それは間違いであったということになります」等と講義の中でおっしゃいます。
     小生のようなずぶの素人が歴史に関わっても良いのだと確信したのは、考古学で学んだ、当時在野の考古学者であった相沢忠洋によって発見された「岩宿遺跡」が、その後多大な功績を残したと学んだからです。ですから、在野の人たちの研究については、著名な学者の先生方も決して蔑ろにはせず、むしろ積極的にご支援くださっております。
     従いまして、先々まで高村さんのご研究が確信を持って進展されますことを願ってやみません。

  2. コメントありがとうございます。随分厄介なご病気の由……ご快癒を心からお祈りしています。

    おっしゃるように、近年では1次史料の翻刻や考古調査の進展が著しく、仮説が次々に出されています。いくばくかの貢献を期して、史料の蒐集と考察に取り組んでいきたいと思います。

    水野さんのご研究の進展にもご期待しております。共に「無理のない範疇で」という留意がついてしまいますが、頑張って参りましょう。