先日、早雲寺住持の明叟宗普を調べた折り、彼が氏康と同年齢だと知った。北条綱成も同い年となる。また、今川氏輝も同年なので、氏康室の瑞渓院殿も年齢は近い(氏輝と同母。姉か妹かは不詳)。幻庵の名で知られる北条宗哲は彼らの20~23歳上となる。この人達は70代まで生きた。

次に、推測ではあるが宗端と氏隆は60代ではないかと思う。

後北条氏の他の人間は割合短命で、50代半ばまで生きたのは、氏綱・氏康・氏政・氏照・氏邦・氏規・氏勝・氏隆。

氏時、為昌、氏尭、景虎、三郎(宗哲長男)、氏信、氏繁、氏秀はもっと若く亡くなっている。

50代以下の人で不慮の死は氏政、氏照、景虎、氏信のみ。

宗教は明叟、内政は宗哲、軍事は綱成、閨閥は瑞渓院殿という長老体制が組めた点は後北条氏にとって強みになっただろう。

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