戦国時代全般でよく言われる「飢饉の時代」について、最近少し疑問に思っている。

 食糧難ということは、人口に比べて食料生産が少ないということだ。しかし、史料を見ると実態は間逆の方向を指しているように見える。

 この時代、動員された軍勢を使って収穫前の作物を刈り取ったり、農耕地を破壊したりしていることが多い。収穫までその領域を確保しておけば食料が得られるし、後々その土地が自領になった際、徹底的に破壊された農耕地は復元に時間がかかる。その利点を無視してわざわざ破壊行動を行なうのは、食料が豊富という前提に立った嫌がらせだからだろう。飢饉ならば虐殺行為になってしまう。

 そして、兵糧で困窮するのは完全封鎖された籠城兵ぐらいという点も飢饉説を否定してる。一般に食料が乏しい状態で戦争が起きれば、攻め込んだ側が先に飢え始める。補給線は長くなるし、飢饉では現地調達もままならないからだ。攻囲側が食料を持っているということは、移動可能な余剰食糧を購入でき、また在地に調達可能な食料が一定量存在することを意味する。

 戦争面でいうと、兵糧よりむしろ兵員集めで苦労している史料が圧倒的に多い。牢人衆として金銭で囲っておく行動も、人手不足ならではの制度だろう。

 民間でも、人は不足していたと思われる事例が多い。在地から逃げた百姓は何年も追い続けているし、国衆や給人どころか大名の間でも逃亡した百姓の扱いで対立が生じた事例もある。この遺恨は近世初頭まで引きずっている。

 では、気候不順が伝えられる中で何故この時代は食料が余っていたのか。

 後北条氏・今川氏の宛行や検地では増分がよく出てくる。これを消極的に捉えているのが現在の通説で、いわく、長らく実態が明らかでなかった土地生産を戦国大名が強制的に検地した結果増分が出たとしている。しかし、検地が追いつかぬ程急速に生産が拡大していたと積極的に考える方法もある。制度の変更や技術の進展で生産技術が急拡大しても、人口がすぐに追随するかは微妙だと思う(これは統計による裏づけが必要かも知れない)。

 思い込みや通説を無視して史料と向き合うならば、戦国は食糧余りの時代であり、人材難が深刻化していたと考えるほうが合理的だ。

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