後北条氏、円覚寺に対する不法を禁ず
就忩劇、於寺中横合非分之儀申懸者有之者、註交名、玉縄善九郎所可被申断候、若至于惣緒之沙汰者、当府へ可承候、則可処罪科候、仍如件、 二月廿八日[虎朱印] 円覚寺 →小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条家虎朱印状」 …
就忩劇、於寺中横合非分之儀申懸者有之者、註交名、玉縄善九郎所可被申断候、若至于惣緒之沙汰者、当府へ可承候、則可処罪科候、仍如件、 二月廿八日[虎朱印] 円覚寺 →小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条家虎朱印状」 …
風祭於法泉寺、不可致狼籍候、若横合非分之儀致有之者、則搦取、可申上者也、仍如件、 酉 三月十三日[虎朱印] 法泉寺 →小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条家朱印状」(小田原市 宝泉寺所蔵) 風祭の法泉寺にて、 …
たい三枚早ゝ相調、明日持来、南条代・大草代ニ可渡之、無沙汰付者、可為曲事旨、 被仰出者也、仍如件、 酉 三月卅日[虎朱印] 南条 奉之 小やわた 小代官 百姓中 →小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条家朱印 …
氏康(花押) 今度大事使申付候、涯分無相違可走廻候、然者、一廉可加扶助候、若於路次、身命致無曲候者、子を可引立候、仍状如件、 酉 壬三月十三日 氏政(花押) 高橋郷左衛門尉殿 →小田原市史 史料編 中世2 小田原北 …
廿五日御状、廿八日未剋到着候、本納外曲輪敵乗取由注進候間、則氏政致出馬処、敵退散由方ゝ申来候、先以延引候、今度[則]刻有御出陣、後詰ノ行御催由辱候、息助五郎始遠山以下至船橋打出候間、乍定可申入候、何様自是可申入候、恐々謹 …
人足四十人指越候、役所きへ一向ぬるゝゝ馬もかけよせ、各来申候、度ゝ雖被仰出無沙汰ニ致候、為其一揆ニ普請道具を召寄、可為致由被仰付処、畢竟奉行人無沙汰故候、瓦つゝき堀切もわつか二間内之由申候、既役所儀をか様ニ致無沙汰候、曲 …
先日酒井入道ニ薩埵陣之刻、伝馬之御判ニも為無之、恒之御印判に而被下候、一廻物書誤か思、是非不申候、然ニ今度板倉ニ被下御印判も、伝馬を常之御印判ニ而被下候、御印判之事候間、無紛上、無相違候得共、兼日之御定令相違候間、一往其 …
越国衆出張之由候、此度抽忠信肝要候、然者、為証人、実子倉賀野へ可被越候、恐々謹言、 九月十五日 氏政(花押) 浦野中務丞殿 →小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条氏政書状写」(新編会津風土記六) 1560(永禄 …
伊東同心香坂甲斐衆、妻子不持間、当陣取遣候条、其地へ越候、当陣之間預ヶ申候、他国衆候間、能ゝ可有懇候、仍如件、 伊東 奉 巳 三月十三日 左衛門太夫殿 →小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条家虎朱印状写」(甲斐 …
去四日御注進状、同六日到着、然者長尾弾正少弼向其地、雖相動候、御備堅固故、無其功退散、誠以我ゝ一身満足候、 一自小田原之返礼、両通進置之候、一此度其地へ敵取懸候処、後詰遅ゝ、無功之由蒙仰候、近比無御余儀候、雖然敵向其地相 …