廿五日御状、廿八日未剋到着候、本納外曲輪敵乗取由注進候間、則氏政致出馬処、敵退散由方ゝ申来候、先以延引候、今度[則]刻有御出陣、後詰ノ行御催由辱候、息助五郎始遠山以下至船橋打出候間、乍定可申入候、何様自是可申入候、恐々謹言、

十二月廿八日

氏康(花押)

千葉介殿

→小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条氏康書状写」(小田原編年録首巻下)

 25日の書状、28日未刻に到着しました。本納城の外曲輪が敵に乗っ取られたとのこと報告だったので、氏政が出馬したところ、敵が退散したとの報があちこちから来ました。先ずは延期しました。この度は即刻ご出陣いただいて後詰の手立てを催したそうで、かたじけなく思います。息子の助五郎をはじめ遠山以下が船橋まで出撃していましたので、型どおりではありますがお知らせします。何事もこの者たちからお知らせします。

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