織田信長、今川方となった鳴海城主に同心した星崎根上の者の所領没収を命ず
星崎根上之内今度鳴海江同心之もの共跡職、悉為欠所上者、堅可遂糺明者也、仍如件、 天文廿四 二月五日 上総介 信長(花押) 一雲軒 花井右衛門尉兵衛殿 →愛知県史 資料編10「織田信長判物」(徳川美術館所蔵文書) 星崎 …
星崎根上之内今度鳴海江同心之もの共跡職、悉為欠所上者、堅可遂糺明者也、仍如件、 天文廿四 二月五日 上総介 信長(花押) 一雲軒 花井右衛門尉兵衛殿 →愛知県史 資料編10「織田信長判物」(徳川美術館所蔵文書) 星崎 …
雖未申通候、馳走候、抑今度尾州之儀属本意由候、天下之名誉不可如之候、将亦万松院殿御時、治部大輔へ御所望之段、御約束之子細候キ、堅雖被仰置候、近日雪斎毎事令斟酌、不存之由候条、此節馳走可為御祝着候、武命取合肝要候也、謹言、 …
於参州織田備後守間之事、重不及鉾楯弥属無事、都鄙儀令馳走者可喜入之段、対今川治部大輔遣内書候、無相違様被仰下者可為喜悦候、此等趣、可加意見之旨、彼年寄中被加芳言者可然候、猶聖護院殿可有演説候、恐惶謹言、 六月廿八日 義藤 …
代々雖為忠節、借用之米銭過分之間、就不及返弁、数年令山林、連々依訴訟申上重而召出、旧借等一円停止之畢、然者捨置■飯尾若狭守相頼、先年契約之時、借用米銭事申立候条、依難準自余、加下知、従当年米百俵宛、六年ニ六百俵、代物弐拾 …
「御竪紙ニテ如左」 権現堂之城掟 一、何之番ニ候共、兼日定置着到之人衆、三日ニ一度ツゝ可被相改、若一騎一人も不足ニ付而者、可有披露、過失を可申付事、 一、当番ゝゝ之物頭、於其家中も、 大途御存之者を可申付、一騎合躰之者、 …
輝虎守筋目不致非分事 一関東江年ゝ成動、致静謐事も、上杉憲政東官領与奪、依之相動及其稼事、 一信州江成行事、第一小笠原・村上・高梨・須田・井上・嶋津、其外信国之諸士〓[穴+牛]道、又者輝虎分国西上州へ武田晴信成妨候、於河 …
重而預脚力候、御書面一ゝ披見申候、 一其表堅固之御備之由、自何肝要存候、 一御状則 御両人殿入御披見■■、御取込ニ而、御返事無之儀者不苦候、幾度 御両殿様へ、其口堅固之備并深沢表之模様御注進肝要候、幾度直書を以、可被御申 …
山田のをのゝゝ馳走、めをおどろかしつ。宗碩は此ついで尾張へこえ、長阿は北地の旅行やうゝゝ雪になるべくおどろかれて、此十六日におもひたちぬ。雲津川、阿野の津のあなた、当国牟楯のさかひにて、里のかよひもたえたるやうなり。あな …
(九月)廿五日[戊午]、晴陰、(中略)伝聞、去月○[大]地震之日、伊勢・参河・駿河・伊豆、大浪打寄、海辺二三十町之民屋悉溺水、数千人没命、其外牛馬類不知其数云々、前代未聞事也、 →愛知県史 資料編10「後法興院記」 9 …
別紙之書面披見候、仍沼田之儀在城之所、淵底存之前候、従此方も疾ニ雖可申届候、去夏以来在府大普請請取、其上上方之儀付而、無際限御用ニ取乱、依無手透、是非不申届候、其地之於仕置者、其方在城之儀候間、心易候、肝要之御城之儀ニ候 …