代々雖為忠節、借用之米銭過分之間、就不及返弁、数年令山林、連々依訴訟申上重而召出、旧借等一円停止之畢、然者捨置■飯尾若狭守相頼、先年契約之時、借用米銭事申立候条、依難準自余、加下知、従当年米百俵宛、六年ニ六百俵、代物弐拾貫文宛、三ヶ年ニ六拾貫文合七拾貫文、可令沙汰者也、相残知行若重雖令還附、以此引懸各取下候に付、借主所江雖有如何体之借状之文言、一向不可及其沙汰、若又雖判形・印判出置、於自今以後者、依為蒲原在城、旧借不可有返弁者也、仍如件、

天文廿年八月廿八日

治部大輔(花押影)

由比左衛門尉殿

→戦国遺文今川氏編「今川義元判物写」(国立公文書館所蔵御感状之写并書翰)

代々忠節をなしたとはいえ、借りた米と銭が多額となって返済不能になったことについては、数年山林で暮らした上常々訴訟を上げていたので重ねて呼び出し、現状の取り立て行為を全て止めさせた。ということで返済は取りやめ、飯尾若狭守に依頼せよ。先年契約した際に、借用した米や銭のことを申し立てたので、特別な例として指示を加えて、その年より米を100俵ずつ、6年で600俵と、代物20貫文ずつ。3年で60貫文。合計で70貫文を処理した。残余の知行をもし重複して還付させたとしても、この引き掛けによってそれぞれ取り下しますから、借主のところにどのような借用書が来たとしても、全ては適用外となる。もしも判形・印判が発行されていたとしても現在以後は、蒲原の城番を勤めるので過去の借金は返済不要である。

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