北条氏繁、本形寺に、出陣の状況を説明し伝手を求める
就当口着陣、早ゝ御使僧誠以喜悦候、近年者常陸口へ氏政被成進発故、久ゝ不申承候キ、前ゝ不相替相応之子細等、無御隔意就蒙仰者可為本望候、随而藻原自前ゝ老父別而申承候、此度房州口可罷向段屋形下知之間、任其儀三浦口へ出陣、拙夫当 …
就当口着陣、早ゝ御使僧誠以喜悦候、近年者常陸口へ氏政被成進発故、久ゝ不申承候キ、前ゝ不相替相応之子細等、無御隔意就蒙仰者可為本望候、随而藻原自前ゝ老父別而申承候、此度房州口可罷向段屋形下知之間、任其儀三浦口へ出陣、拙夫当 …
来翰披閲、特丸薬両様三包到来祝着之至候、白血薬并万病円何ゝ之煩ニハ呑汁以何用候、委細被書立可給候、関宿普請取乱之間、委曲自是可申候、恐ゝ謹言、 五月十七日 氏照(花押) 掉雪斎 回章 →戦国遺文 後北条氏編 1852「北 …
[懸紙上書]「西浦百姓 大川兵庫助 評定衆」 西浦小代官藤守、或年貢を百姓ニ不為計而手前にて相計、或升目を掟之外取候、実犯露顕之上、被為籠舎、彼虚妄不出者、可被処死罪候、兎角向後彼藤守西浦へ被遣間敷旨、被仰出者、仍如件 …
「横折」 今度於奈胡桃、敵一人討捕候、高名感悦候、弥可走廻候、仍如件、 十一月十日 (北条氏政花押) 小河池左京亮殿 →戦国遺文 後北条氏編 2111「北条氏政感状写」(鶏肋編百六) 天正7年に比定。 この度名胡桃にお …
四百六拾六俵 借米本利之辻 但丑年迄 此返弁 弐百十八俵 丑九月より十一月を切而返弁、五十四貫五百文之分、 弐百十八俵 寅年同断、 卅俵 卯年九月 已上四百六十六俵 一、諸人之借米、丑年迄本利合四百余俵也 …
新田へ鉄砲衆合力候、五挺可然放者可被申付候、明後可遣候、島津左衛門自馬廻遣候間、従者可同心旨可被申付候、掟従是委以書出可申付候、万端遣念可被申付候、仍如件、 五月十九日[虎印] 常陸守殿 →戦国遺文 後北条氏編 1911 …
先段中村但馬所迄申越候条、定可披露候、然者甲相両国近年改而結骨肉、別而令入魂候処、無其曲、表裏追日連続、取分去年越国錯乱以来、敵対同前之擬耳、雖然、於愚者堪忍令閉口候処、此度駿豆之境号沼津地、被築地利候、此時者、不及了簡 …
追而、三ヶ条之儀、諸人之比量不可然候間、申事ニ候、併於何事も、連ゝ存分ニ可相極候、是ハ以他筆ヒソカニ書付候、仍如件、 [午]五月十三日 朱印 木呂子新左衛門殿 →戦国遺文 後北条氏編2340「上田長則朱印状写」(岡谷家 …
就大塚之郷任置、具申遣候、能ゝ可致分別候、 一、若年之間ハ、先ゝ親之以苦労致奉公儀、古来法度之様歟、雖然、譜代之仁ト云、親子数多之儀ト云、彼是共ニ不准自余、如此候、弥其方覚語見届候ハ、何分ニモ可引立間、心易可存事、 …
覚 一人衆改之事、 一猶普請等之事、 [付、人衆引分而も、自由ニ為可召仕候、] 一向西上州、越衆可為出張由、安房守注進候事、 [付、口上、] 以上 三月十一日 「貼紙(「調」朱印)」 小幡兵衛尉殿 →小田原 …