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北条氏繁、本形寺に、出陣の状況を説明し伝手を求める

就当口着陣、早ゝ御使僧誠以喜悦候、近年者常陸口へ氏政被成進発故、久ゝ不申承候キ、前ゝ不相替相応之子細等、無御隔意就蒙仰者可為本望候、随而藻原自前ゝ老父別而申承候、此度房州口可罷向段屋形下知之間、任其儀三浦口へ出陣、拙夫当表へ致出陣之間、相応之子細可致馳走旨、老父申事ニ候之条、此理為申述度、藻原へ以書中申届候、片時も早ゝ御届被成候者可為本望候、明後日者本納近所へ可為陣■■間、急速ニ被遣偏憑入候、委細御使僧口上ニ申述候、恐ゝ敬白、

北条左衛門大夫 氏繁(花押)

八月十六日

本形寺 玉床下

→戦国遺文 後北条氏編 1797「北条氏繁書状」(本行寺文書)

天正3年に比定。

 この口に着陣することについて、早々にご使僧を送ってくれて喜んでいます。近年は常陸口へ氏政が進発なさっていたので、久しくお伺いしていませんでした。以前と変わりなくご要望など、ご隔意なく仰せをいただければ本望です。茂原は前々より老父が特別に伺っていましたが、この度房州口に向かう段、屋形の下知ですから、その趣旨の通りに三浦口へ出陣、私はこちらへ出陣いたしました。そこでご要望に奔走するべき旨、老父が申すことですから、このことを申し述べたく、茂原へ書中をもって申し届けました。早々のお届けができれば本望と常に思っていました。明後日は本納の近所へ陣を張るでしょうから、急ぎ遣わされ、ひとえにお頼みします。詳細はご使僧の口上にて申し述べます。

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