[懸紙上書]「西浦百姓 大川兵庫助 評定衆」
西浦小代官藤守、或年貢を百姓ニ不為計而手前にて相計、或升目を掟之外取候、実犯露顕之上、被為籠舎、彼虚妄不出者、可被処死罪候、兎角向後彼藤守西浦へ被遣間敷旨、被仰出者、仍如件、
天正五年[丁丑]卯月十日[虎朱印]
評定衆 下野守康保(花押)
西浦百姓 大川兵庫助
→戦国遺文 後北条氏編 1900「北条家裁許朱印状」(国立史料館所蔵文書)
西浦の小代官である藤守は、あるいは年貢を百姓に計量させず手元で量り、あるいは升目を掟から外れた方法で取るといいます。犯行が明らかになった上は、投獄し、騙して得た利益を出さぬ際は死罪に処すでしょう。とにかく今後はあの藤守は西浦へ派遣することはならぬ旨、仰せであった。