先段中村但馬所迄申越候条、定可披露候、然者甲相両国近年改而結骨肉、別而令入魂候処、無其曲、表裏追日連続、取分去年越国錯乱以来、敵対同前之擬耳、雖然、於愚者堪忍令閉口候処、此度駿豆之境号沼津地、被築地利候、此時者、不及了簡候、於当方も、豆州之構可致之候、廻愚案、始末之備、此砌極一ケ度候、遠境与申、無心千万候へ共、扨又思慮可申御間ニ無之間、抛是非申届候、一途ニ御人衆数多立給候ハ、可為本望候、有御遅ゝ者、其曲有間敷候間、御内意候者、一刻も早ゝ待入候、大手之人衆も、悉来七日・八日ニ者、爰元、可来候条、返ゝ於此砌者、無二被思召詰、御出勢可為本懐候、恐ゝ謹言、
九月三日
氏政(花押)
千葉殿
→戦国遺文 後北条氏編 2099「北条氏政書状」(渡辺忠胤氏所蔵文書)
天正7年に比定。
先日中村但馬守の所へご連絡しましたので、きっと披露なさったでしょう。ということで甲斐国・相模国の両国が近年改めて骨肉を結びました。格別に入魂になろうとしたところ、それも虚しく、日を追って裏切りが連続し、取り分け、去る年の越後国錯乱以来、敵対同然の扱いのようなものでした。そうはいっても、私は耐えて黙っていましたところに、この度駿河国・伊豆国の国境、沼津という地に、『地利』を築かれてしまいました。ここにきて我慢できなくなりました。こちらとしても、伊豆国に防御拠点を作ることになるでしょう。策を巡らして細かく備えます。この際の一戦に極まります。遠いところといい、無理な願いですし、思慮に及ぶことでもないのですが、ご内意ですから、一刻も早くとお待ちしています。大手軍の部隊も、全て来る7~8日にはこちらに来るでしょう。返す返すもこの一戦です。無二に思い詰められ、ご出陣なさるなら本懐でしょう。