茂呂右衛門佐、早乙女縫殿助に、『てんちう』の『ふんとく』は相違ないと確約する
彼てんちう事、たれ人承候とも、其方へふんとく申上、ゆめゝゝふさたあるましく候、恐ゝ謹言、 三月廿九日 茂呂右衛門佐(花押) そうとめねいの助殿 →戦国遺文 後北条氏編4232「茂呂某書状写」(井伊文書) あの『てんち …
彼てんちう事、たれ人承候とも、其方へふんとく申上、ゆめゝゝふさたあるましく候、恐ゝ謹言、 三月廿九日 茂呂右衛門佐(花押) そうとめねいの助殿 →戦国遺文 後北条氏編4232「茂呂某書状写」(井伊文書) あの『てんち …
如蒙仰、其以後者御無音罷過候、慮外之様ニ可思召処、令宣来候、仍有御用板倉之猟師共ニ白鳥之儀被仰付候哉、御肝要ニ存候、然ニ我等押申候由、彼者共申上候歟、 愛宕八幡〓(大+廾)為如何、御領所へ我等左様ニ慮外可申候歟、一円偽之 …
去廿日於皆川表合戦之刻、其方息太郎討捕敵、誠心地好候、殊ニ初陣之由、感悦不少候、恐ゝ謹言、 八月十日 氏政判 毛呂土佐守殿 →戦国遺文 後北条氏編3863「北条氏政書状写」(新編武蔵国風土記稿入間郡十七) 去る20日 …
態啓候、其地普請堅固ニ出来之由、稼之段、肝要候、但、大敵可請返地形、爰元無腹蔵可有談合候、仍分端之動事如何、那波地難儀間、大途調迄者、遅ゝ候条、先一動可有之由茂因へも申越候、其方相稼、早ゝ先一動可有之候、委細河尻申候、恐 …
態以一札令申候、於今度働之上、当方一味茂呂方江如前ゝ入魂之由候、肝要至極候、弥以茂呂方可被相談事専要候、涯分可見次申覚語ニ候、猶使者可申候、次為祝儀、太刀一腰進候、恐ゝ謹言、 四月十日 氏康(花押) [宛名欠] →小田 …
至于当口出陣、定而可為御満足候、今日者河鰭ニ取陣、佐野・新田領可放火候、然者御同名蔵人方十騎計ニて、茂弾手へ可被差越候、彼口案内者之由候間、諸事可相談候、将又新田覚ニ候間、一勢可遣候由、茂弾被申候、大谷藤大郎遣候、猶沢弥 …
向佐貫敵動候処、不移時日被懸付、於宿城被走廻由候、肝要候、城内同心大切候、万事茂周被相談、堅固之備尤候、猶岩本可申越候、恐ゝ謹言、 卯月廿二日 氏康(花押) [宛名欠] →戦国遺文後北条氏編412「北条氏康書状」(千葉 …
両君御間儀、御無為奉歎候処、結句逐日増進様候、顕実・憲房間事、是又色ゝ様ゝ雖令教訓候、為事不成、剰鉢形三日不被相拘落居、言説不及候、只今極一身様候、万耄昧迄候、簡要憲房ニ被仰合候者、可為御本意候、此旨可令得尊意給候、恐惶 …
先度令啓候、伊東九郎方被并為茂馬、小田原・七沢以来度ゝ合戦、被致粉骨候、自御屋形様被成御感候者、猶以忝可存候、恐ゝ謹言、 長亨二年五月十六日 大膳亮為茂 謹上 平子平左衛門尉殿 →神奈川県史 資料編36380「大膳亮為 …
其地新田近所候処、搆要害夙夜致辛労之由、聞召候、誠以神妙候、已顕実向両庄、可成行之段、被申上候、其間事堅固相拘候者、猶以可感思召候也、 六月十三日 (政氏花押影) 冨岡玄蕃亮殿 →戦国遺文 古河公方編1967「足利政氏 …