戦国史上かなり華々しい戦でありながら、実は何も判っていないのが『桶狭間合戦』だと考えている。
 川越夜戦や川中島、厳島、関が原などなど、戦国合戦は近年科学的なアプローチや史料精査によって劇的に解釈が進歩した。その一方で、『信長公記』という良質史料がある故に桶狭間合戦の実像は矛盾に満ちたものになっているのではないだろうか。

  • 総大将今川義元は何故討たれたのか?
  • 実際の戦場はどこだったのか?
  • 何故この合戦が行なわれたのか?

 この辺の謎を、極力同時代の史料を用いて解明したい。その際に、『信長公記』による記述は一切織り込まず、最終的な成果が出た段階で比較する。
 無謀な試みではあるが、挑戦してみるだけの価値はあるかと思う。一昨年より備忘録として運用していたWikiのデータを注意深く移行するところから始めることとする。

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