旧恩分之事

於三州吉田之内田畠屋敷分共拾壱貫文地、古郷之内四貫七百貫文 此内弐貫参拾文者荒地開発忠節分也 、都合拾五貫七百文、如年来可令知行(但此内弐貫四百文者扶持銭従蔵前毎年可請取之)、

右、雖帯天沢寺殿判形、去庚申年於沓掛令失却之由之条、重所成判形也、然者被官七間之分棟別・押立・四分一等之諸役、是又如年来免許了、於度々令忠節之間、不可有相違、守此旨弥可励奉公之状、如件、

永禄六 癸亥 年 二月廿四日

上総介(花押)

田嶋新左衛門殿へ

→静岡県史 資料編7

 旧恩分のこと。三河国吉田内の田畠・屋敷分ともで11貫文、古郷内の4貫700文(このうち2貫30文は荒野を開発した功績である)、都合15貫700文を従来通り知行してよい(但し、この中の2貫400文は扶持銭として蔵前より毎年受け取るように)。
 右のことは既に天沢寺殿(今川義元)判形が帯びているとはいえ、1560(永禄3)年に沓掛で失われたとのことなので、重ねて判形をなすところである。ということで、被官の7間の棟別と押立、四分一などの諸役は、これもまた従来通り免除とする。度々忠節を示したので、このことは相違ない。いよいよ奉公に励むこと。

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