十二日之一札、今十四申刻披見、 一、沼田・吾妻之儀付而、自是も申候キ、 一、人衆者、上下両手ニ千程可有之候歟、自妙音院書立被越候、 一、沼田ニ而もたいの儀者、城不請取間者、自元為如何、自此方貸可有之候、 一、妙音院、明日明後日之間ニ、当地迄可有着府候、其上京衆小田原可通是非糺明候者、可聞得候、其上可申付与之儀候、 一、京都へ召連者之事者、自諸手五騎三騎ツゝ迄候、我ゝ一騎上ニ而済候、多人衆不入候、申付候分をハ、無由断御支度、又奏者方へも、弥可有下知候、未百日之以後之事候間、致何様候共、遅ゝ者有間敷候、 一、沼田請取人之事者、左衛門佐ニ昨日落着、被申付候、 一、沼田請取而より後之もたいハ、貴所之外有間敷候間、無由断御心懸専一候、恐々謹言、
七月十四日
 氏政(花押)
安房守殿

→小田原市史1952「北条氏政書状」(埼玉県秩父市・内田たま子氏所蔵)

天正17年に比定。

 12日の手紙、今日14日申刻に見ました。一、沼田・吾妻のことについては、こちらからも申しました。一、部隊は、上下両手で1,000程もいますでしょうか。妙音院より『書立』(一覧?)が来ました。一、沼田での『もたい』(接待?)のこと。城を受け取っていない間は元より、どれもこちらからの貸しとするべきでしょう。一、妙音院は明日・明後日には当地へ到着するでしょう。京都の衆が小田原を通過するかどうかの検討は、結果報告を聞いてから指示するだろうとのことです。一、京都へ同行させる者のことは、諸手から数騎ずつまでとします。自分は1騎で済ませますから、大人数は不要です。指示した分は油断なく準備し、また、奏者にもくれぐれも指示を出しておきますように。まだまだ100日も後のことですが、何があっても遅れがあってはなりません。一、沼田を接収する者は、昨日左衛門佐に決まり、命令がありました。一、沼田を受け取って以後の『もたい』は、あなた以外はありえませんので、油断なく心がけ注意して下さい。

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