其以来無音之間、令啓候、抑度ゝ於其表敵被討捕、手堅被及防戦候、戦功不浅次第候、将又東敵東口ヘ打出由候間、則武州・下総之者共申付、指向候、定敵敗北程有間敷候、就中上州口へ甲州衆可越山由、雖注進候、実説于今無之候、至于事実者、早ゝ可遂出馬候間、其口弥堅固之備、可為肝要候、将又両種、江川一荷進之候、猶安房守可申越候、恐ゝ謹言、

五月七日

 氏政(花押)

長尾左衛門入道殿

→戦国遺文 後北条氏編2235「北条氏政書状写」(武州文書所収足立郡勘右衛門所蔵文書)

天正9年に比定。

 あれ以来連絡していなかったので、ご挨拶します。そもそも、度々その方面で敵を討ち取られ手堅く防戦に及んでおり、戦功浅からざるものがあります。また、東の敵が東戦線へ出撃したそうなので、武蔵・下総の者たちに指示して向かわせております。きっと敵の敗北は程なくでしょう。とりわけ上野国戦線へ甲斐国衆(武田方)が山越えしたとのこと、報告が入りました。確報は現時点で入っていませんが、事実であるならば、早く出馬するでしょうから、そちらの戦線はますます堅固の防備をするのが大切です。また、両種・江川1荷を進呈します。さらに安房守(氏邦)が申し上げるでしょう。

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