就駿軍鉾楯、氏真至于熊河地退出、因茲駿遠両国悉敵対之割、抛身命、任下知凌海陸之難所、数百里無相違懸川相移、城内堅固ニ持固、百余日被被籠城、終氏真并御前御帰国候、誠以忠信無頭、高名之至、無比類候、仍太刀一腰并五萬之地遣之候、仍状如件、
永禄十二年己巳
五月廿三日
氏政(花押)
清水新七郎殿
→戦国遺文 後北条氏編「北条氏政判物写」(古証文五)
清水一岳氏所蔵本状写から1569(永禄12)年に比定。
駿河での戦闘状況について、氏真が熊河(掛川)の地へ退却し、このことで駿河・遠江の両国ことごとくが敵対した際、身命をなげうち、下知に従って海陸の難所を越え数百里の道を間違いなく掛川に移動、城内を堅固に守備して百余日籠城し、ついに氏真と夫人を帰国させました。本当に忠信は並ぶものがなく、高名の至りで比類がありません。太刀1越と5万疋の領地を進呈します。