一今度父子以馳走、菅沼小法師属味方畢、然者去年三州悉逆心之割、無二依忠節充行知行之内、萩・牧平・樫山三ケ所、合五貫文、只今本領主爾令還附之段、太以神妙也、因茲為改替出置知行之事

一菅沼新八郎本知悉并蔭山方稲木村共所令扶助也、此員数三百五拾貫文、但右之五百貫文改替之員数為不足之間、彼知行増分雖有申出輩、不可及其沙汰事

一彼知行之内、自余之輩爾雖出置之、為右之五百貫文之改替、只今充行于定能上者、不準自余之条、其領主方江不可及替地之沙汰、併依忠節之軽重、以他之地替地可申付、於彼地定能爾出置上者、聊不可有相違事

右条々、永領掌不可有相違者也、仍如件、

永禄六[癸亥]年五月十四日

 [今川氏真也]上総介 判

奥平監物之丞殿

→戦国遺文 今川氏編1913「今川氏真判物写」(東京大学総合図書館所蔵松平奥平家古文書写)

 一、今度父子が奔走して菅沼小法師を味方にした。ということで去る年三河国がことごとく逆心した際に示した無二の忠節により、渡した知行のうち、萩・牧平・樫山の3箇所、合わせて5貫文を元の領主に現在還付しているのは、本当に神妙である。ここに代わりの知行を出すこと。一、菅沼新八郎の本知行全てと、蔭山方の稲木村を共に扶助するところとする。この員数は350貫文。但し、右の500貫文の代わりとするには不足があるので、あの知行で増分が出てもそれは軍役対象・課税対象とはしないこと。一、あの知行のうちで他の者が充て行ないを受けたとしても、500貫文の替地であるため、今定能に充て行なう上は対象外とする。その領主方への替地処理対象とはせず、忠節の軽重を鑑みて他の地を替地として申し付けるように。あの地を定能に渡した上はいささかの相違もあってはならないこと。

 右の条々、末永く諒承して相違があってはならない。

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