内ゝ今日者可申上由、奉存候処、一昨廿七日之御書、只今未刻奉拝見候、 一 軈而御帰可被成由、被仰下候、此度者懸御目不申候事、折角仕候、二月者御参府ニ可有御座間、其時分懸御目申候て可申上候、 一 御隠居様又御隠居之由、被仰下候、去拙者上洛之時分より無二御引籠、聊之儀ニも、重而者御綺有間敷由、仰事ニ御座候シ、無是非御模様与奉存候、 一 一両日以前、妙音院・一鴎参着、口上被聞召届候哉、拙者所へも冨田・津田状を越申由、一昨廿七日之御書、参候シ、自元口上者、是非不承届候、将亦一昨日朝弥・家為御使参候、此口上を家へも自関白殿被仰越候間、可然御返事尤由、比一理にて参由申候シ、朝弥、自妙音院申候とて物語申候分者、此度之儀者、沼田之事ニ参候、御当方御ために可然御模様之由申候シ、定而御談合可有御座候、珍儀御座候者、可被仰下候、 一、足利之儀、如何様ニも可被為引付儀、御肝要与奉存候、定而自方ゝ扱之儀、可有御座候、御味方ニさせらるゝ程之儀ニ御座候ハゝ、殿様御手前相違申候ハぬやうニ、兼而被御申上、御尤ニ御座候歟、但何事も入不申御世上ニ御座候、我等式者、遠州之事ニも何ニも取合不申候、年罷寄候間、うまき物を被下度計ニ御座候、返ゝ此度懸御目不申候事、何共ケ共迷惑不及是非奉存候、猶自是可申上旨御披露、恐惶謹言、

追而、一種被下候、拝領過分奉存候、併はや殊外之まつこに罷成候、又一種進上仕候、御披露、

十一月晦日

美濃守 氏規(花押)

酒井殿

→小田原市史 資料編 原始 古代 中世Ⅰ 「北条氏規書状写」(武州文書十八)

1589(天正17)年に比定。

 内々に今日申し上げたいことがあると思っていたところ、一昨27日のご書状を現在の未刻に拝見しています。一、すぐにお帰りになられるだろうとの仰せ。この度はお目にかかれませんこと、残念です。2月はご参府なさっているでしょうから、その時にお目にかかって申し上げましょう。一、ご隠居様がまたご隠居なさるとのこと仰せです。前に私が上洛の時分よりひたすら引きこもられて、どんな些事であろうと再び揺らぐことがあってはならぬと仰せになってしまいました。どうにもならないご様子だと存じております。一、一両日より前に妙音院・一鴎軒が参着したそうですが、口上をお聞きになりましたでしょうか。私の所へも「冨田・津田の書状を送るだろう」と妙音院から言ってきたと、お話がありました。一昨27日の御書が参りまして、もとより口上は是非を承り届けていません。はたまた一昨日朝比奈弥太郎が家康のためにお使いに参りました。この口上を家康へも関白殿が仰せになられたので、然るべくお返事するのがもっともとのこと、この一理をもって参上したとのことです。朝比奈弥太郎が妙音院が申したこととして物語した分は、この度のことは、沼田のことで参りました。そちら側の為に、しかるべき『御模様』とのこと申して、きっとご談合がおありになるでしょう。何かあったら、仰せ下されるでしょう。一、足利のこと。いかようにも検討なされるのは大切なことと考えております。きっと方々からの陳情があるでしょう。お味方になさるほどのことでしたらば、殿様のお手前相違のないように以前から申し上げられるのは、ごもっともなことでしょうか。但し、何事も入りがたい世の中ですから、私のようなことは『遠州』のことでも何のことでも取り合ってもらえないでしょう。年をとってしまいましたので、どうにか善処いただこうとそればかりです。返す返すも、この度お目にかかれませんでしたこと、どうにもこうにも戸惑うばかりです。なお、この者より申し上げることをご披露下さい。

 追記:一種を下されましたこと、私には過分なことだと思っています。そしてもう殊のほかの末期になりました。また、一種を進上します。ご披露を。

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