今川義元、伊勢外宮に本殿建替費用を三河から徴収する旨了解する
就太神宮造替御状殊御祓太麻并二種珎重候、随太刀一腰進之候、将又参州萱米之事、委曲関口刑部少輔可申候、 恐々謹言 八月十五日 義元御判 →静岡県史 太神宮建替えについての書状、特に御祓い大麻と2種は珍重しています。このこ …
就太神宮造替御状殊御祓太麻并二種珎重候、随太刀一腰進之候、将又参州萱米之事、委曲関口刑部少輔可申候、 恐々謹言 八月十五日 義元御判 →静岡県史 太神宮建替えについての書状、特に御祓い大麻と2種は珍重しています。このこ …
今川氏真文書によると、松井部隊は今川軍で撤退戦のプロのようなポジションだったことが判る。 駿東郡を舞台とした『河東一乱』が出だしに入っているが、これは宗信の父親の話かも知れない。この文書のあて先は宗信の後継者『八郎』 …
御祝儀万々珍重之至候、弥国家繁営之基候、向尾州御進発、是又目出候、仍金襴一端・大方紙十帖進覧候、猶重而可申述候、穴賢々々、 南無阿弥陀仏、 九月五日 他阿弥陀仏 今河治部大輔殿 人々御中 →静岡県史 資料編7 (清浄光寺 …
「実報院 氏真」 於尾州不慮之儀出来、因茲遠路来書祝着候、爰元無異儀候、委細高井連惇可申候、 恐惶謹言 六月廿七日 氏真(花押) 実報院 →愛知県史 資料編11 「今川氏真書状」(熊野那智大社文書) 尾張国で不慮の事態 …
豊受太神宮神主 早任先例、太神宮御葺萱料作所申分子細之事 右御萱料者、太神宮於天下異于他之条、自往古以勅命、正遷宮萱之国被定置者也、因茲去年夏自作所令注進之処、三州之儀雖為御合点、遠州之儀者、就浅間御造営無同心之由、神鑑 …
尚以御祓并山桃・尉(熨)斗五把送給之候、目出度令拝領、態斗御初尾三十疋令進覧候、尚■ニも可申入候、 今度就合戦之儀、早々御尋本望存候、義元御討死之上候間、諸勢討捕候事、際限無之候、可有御推量候、就其立願之儀、委細御使与三 …
今川氏真による文書に、珍しい種類のものがある。 ■田嶋氏への再安堵 ■大村氏への再安堵 どちらも以下の要素を持つ。 天沢寺殿(今川義元)が土地領有の保証を行なっていること。 しかしその保証書が、5月19日の合戦時に沓 …
去十九日、尾州大高城江人数・兵粮相籠之刻、為先勢遣之処、為自身無比類相働、殊同心・被官被疵、神妙之至甚以感悦也、弥可抽忠功之状、仍如件、 十月廿三日 義元 判 菅沼久助殿 →豊明市史 「松平奥平家古文書写」 去る十九日、 …
検証a01に引き続き、同様の内容が含まれる文書を検討しよう。 武田晴信からの書状には、以下の事柄が含まれる。晴信は今川氏の強力な同盟者で、氏真とは何重にも血縁関係を持っている。 岡部五郎兵衛尉とは暫く音信がなかった。 …
『桶狭間の合戦』と世上呼ばれる戦闘を、まずは定義してみよう。通説は全て仮説として提示する。 日時 1560(永禄3)年5月19日(旧暦) 場所 愛知県豊明市に存在する標高65mの「おけはざま山」付近 概要 織田信長と交 …