検証a01に引き続き、同様の内容が含まれる文書を検討しよう。
武田晴信からの書状には、以下の事柄が含まれる。晴信は今川氏の強力な同盟者で、氏真とは何重にも血縁関係を持っている。
- 岡部五郎兵衛尉とは暫く音信がなかった。
- 今回の合戦は、今川氏が大敗したもの。
- 沓掛城と大高城は自ら降伏した。
- 五郎兵衛尉が守る鳴海城は、氏真の撤退命令書が来るまで持ち応えた。
- この武功は本当に素晴らしいものだ。
- 五郎兵衛尉は甲斐に2~3年滞在していたがその後音信がなかったので心配していた。
- 無事駿府に帰っただけでなく武功まで上げ、晴信はとても喜んでいる。
- 氏真に讒言する者もいるだろうが、晴信は無実なので信じてほしい。
ここで書かれているのは検証01とほぼ同じ内容だが、疑問に思える点が2つある。「甲斐に2~3年滞在していた」という辺りが、氏真が書いた「事情があって領地を没収していた」との記述と符合しそうだ。ただ確証がないので現時点では疑問点に留める。
氏真の書状との差異は、刈谷城の件が書かれていないこと。甲斐に情報が行く間に漏れたのかも知れないが、五郎兵衛尉の武功をしきりに持ち上げている割にはよく調べてないのではないか。この点は大きな疑問ではないが一応書き留めておく。
疑問のもう一つは、「氏真に讒言する者~」というくだり。実際、晴信は氏真を裏切るのだが、それは遥か先の話である。それとも、この時点で何か疑惑が発生していたのか……。この件も保留しておく。