今川氏真による文書に、珍しい種類のものがある。
■田嶋氏への再安堵
■大村氏への再安堵
 どちらも以下の要素を持つ。

  1. 天沢寺殿(今川義元)が土地領有の保証を行なっていること。
  2. しかしその保証書が、5月19日の合戦時に沓掛で紛失していること。
  3. 紛失の見返りとして、後継者氏真が再度保証書を発行していること。

 『一所懸命』という言葉に表わされるように、武士にとって所領の保証は命懸けの最優先事項である。その証文を戦場に持ち込むのか。『戦国史研究 第35号』の「戦場に文書を持ち込むこと」(大石泰史)で述べられているように、かなりの危険性を持っているのではないかと思われる。
 たとえば、自分が肌身離さず持っていたとしても、運悪く討ち死にしてしまえば、敵なり味方なりが証文を持ち去ってしまうだろう。何故沓掛城で紛失する羽目になったのか?
 紛失後に氏真がわざわざ経緯まで書き記して再発行していることから、以下の推理が成り立つのではないか。

  • 沓掛城に証文を集めたのは今川氏の指示だった。
  • 5月19日の合戦時、余りに早く沓掛城が降伏したために証文回収が不可能だった。恐らくその日のうちに失陥したか。
  • 証文は、織田氏か松平氏に回収されたか、今川氏によって焼却処理された。
  • 今川氏は何らかの意図を持って証文を集めた。

 何のためにこのような仕掛けを試みたのか。三河との国境に存在する沓掛城の位置に鍵があるような気がする。この点を考慮しつつ今後の検証を行なうこととする。

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