夏中可令進発候条、其以前尾州境取出之儀、申付人数差遣候、然者其表之事、弥馳走可為祝着候、尚朝比奈備中守可申候、恐々謹言
四月十二日
義元(花押)
水野十郎左衛門尉殿
→豊明市史 『別本士林証文・今川義元書状写』
夏になったら私自らが出撃します。その前に、尾張国境地帯にある砦のことですが、手勢を派遣します。そのような次第なので、戦線についてはますますご活躍していただけると幸いです。なお、詳細は朝比奈備中守が申し上げます。
※宛名は異説あり。内閣文庫所蔵「古証文」では、宛名は水野甚左エ門。
4件のコメント
「私自らが出撃します」と訳されていますが、どこから義元自身が出陣すると解釈できるのですか。 ❓
コメントありがとうございます。
文中に「進発」とありますが、これは「出馬」と同義で大名クラスの党首が親征することを意味します(サイト内検索でご納得いただけることと思います)。この場合は義元か氏真が行為者候補ですが、尾張と三河の国境地帯で討ち死にしたのは義元であるため、行為者は義元に限定しました。
確かに、一般的な理解は仰る通りでしょう。
しかし、ここでは「令」と義元が自身が言っています。
自身が出陣するのならば、「進発候」「可進発候」と書くのではないのでしょうか。
貴殿のサイトを検索した結果もそうなっています。
コメントありがとうございます。
ここでの「令」は使役ではなく謙譲だと判断しています。ちなみに、管見の限りこの時代の「令」は謙譲の例の方が多いようです。