織田信長、三宅孫介より贈られた栗毛馬の礼を述べる
態申候、仍被寄存知栗毛馬到来、御懇之儀候、寔祝着之至候、猶佐久間可申候、恐々謹言、 十二月廿八日 三介 信長(花押) 三宅孫介殿 進之候、 →愛知県史 資料編11「織田信長書状」(織田文書) 花押の形状より15 …
態申候、仍被寄存知栗毛馬到来、御懇之儀候、寔祝着之至候、猶佐久間可申候、恐々謹言、 十二月廿八日 三介 信長(花押) 三宅孫介殿 進之候、 →愛知県史 資料編11「織田信長書状」(織田文書) 花押の形状より15 …
今度合戦付而親討死之由、無比類忠節候、弥其表之儀、馳走可為祝着候、於本意一所可申付候、恐々謹言、 (異筆)永禄六年 三介 信長(花押) 毛利小三郎殿 →愛知県史 資料編11「織田信長感状」(毛利文書) この度の合戦にて …
「権現様御判物写」 大浜郷惣寺領、元康代仁雖落置之、只今為新寄進返付畢、於末代不可有相違、勤行無懈怠可被相勤者也、仍如件、 蔵人佐 元康(花押) 永禄弐年己未 十一月廿八日 大浜 惣寺方 →新編岡崎市史「松平元康判物写」 …
「権現様御判物 参州大浜村 下之宮神主」 大浜郷両熊野領、元康代仁雖落置之、只今令寄進畢、縦百姓等雖令買得、為新寄進返付上、於末代不可有相違、神社之修理、不可有無沙汰者也、仍如件、 蔵人佐 元康(花押) 永禄弐年己未 十 …
今度貴所御働、無比類之段、元康江則申聞候、異御うち取候段、是又無比類候、御手いかゝ御座候哉、拙者相意得候へ之由、元康被申候、重而可申入候、恐々謹言、 七月廿八日 酒左 忠次 筧平十郎殿 →新編岡崎市史「酒井忠次書状写 …
今度於石瀬、無比類仕候、弥忠節肝用候、尚以高名無是非候、恐々謹言、 八月朔日 元康 御在判 筧平十郎とのへ →新編岡崎市史「松平元康感状写」(内閣文庫) この度石瀬において、比類なく従軍しました。ますますの忠節が肝要で …
一 今度東條津平仁致取出、為勲功津平之郷一円、永令領掌畢、 一 於津平敵之給人衆令忠節、雖罷退候、判形出置之上者、於津平之儀者、不可有相違事、 一 万一無事之儀候共、於津平不可有違乱事、 右条々相定之上者、永不可有相違者 …
壬戌年七月廿六日崇山中山落城之砌、其方為高名西郷新左衛門子令生捕、則良知披官中谷清左衛門ニ被相渡候処ニ、依取逃之、彼清左衛門于今ニ令山臨候処ニ、其方曲事之由大原肥前守被申候間、今度其子細申分之上被聞分候間、度々忠節奉公申 …
去廿二日之夜、三州大塚之城以一身之籌策乗取之、殊被疵別而竭粉骨之旨、太以感悦也、弥可抽軍忠之状如件、 九月廿八日 上総介 書判 牧野八太夫殿 →愛知県史 資料編11「今川氏真感状写」(三川古文書) 1562(永禄5)年に …
「御局御奉書」 「仰 天文十■■ ■」 するかとおはりとくわほくのこと、たいけんちやうらうへちよくしよつかハされ候、さおひなき事にて候ハゝよろこひおほしめし候へく候、御しゆりの事なとも、おほせいたされ候へきにて候つる、と …