冷泉為和、今川氏輝邸での歌会始で歌を詠む
天文二年正月十三日、今河五郎氏輝会始、 梅花久薫 いくかへり鶯さそふ花のかに十世の宿や万代をへん 右十代ハ、当今河迄今河家十代也、然間如此よミ侍也、 『今河先祖』 国氏―基氏―範国―範氏―泰範―範政―範忠―義忠―氏親 …
天文二年正月十三日、今河五郎氏輝会始、 梅花久薫 いくかへり鶯さそふ花のかに十世の宿や万代をへん 右十代ハ、当今河迄今河家十代也、然間如此よミ侍也、 『今河先祖』 国氏―基氏―範国―範氏―泰範―範政―範忠―義忠―氏親 …
為竜王丸守衆、頭人申付之上者、毎事無疎略、可被馳走候、幼少守立事、其役可為苦労候、弥可励奉公者也、恐々謹言、 正月朔日 義元(花押) 三浦内匠助殿 →静岡県史「今川義元書状写」(尾張文書通覧) 竜王丸の守衆としてそのま …
(今川義元花押) 当宿伝馬之儀、天文廿三年仁以判形五箇条議定之処、 一里十銭不及沙汰由申条、重相定条々 一雖為如何様之公方用并境目急用、一里十銭於不沙汰者、不可出伝馬事 一毎日五疋之外者、可為一里十五銭事 一号此一返奉行 …
伝馬壱疋無相違可出之者也、仍如件、 天文廿年 三月廿七日 駿遠参宿々中 →静岡県史「今川義元伝馬手形」(柳沢文庫所蔵) 文頭の朱印は「如律令」、月日上の朱印は「義元」 伝馬1疋を相違なく出すこと。
急度染一筆候、和田辺麦毛純■■■、頻而告来候条、来■日■井田■、四日■和田■移陣候、然者人数一向不調候、苻内可被相触候、次駿州江信虎様御越候哉否、節々彼国之模様被聞、註進待入候、随而於于旗屋之祈念之事、無疎略御勤行尤之由 …
内々以使者可令申之処、惣印軒可参之由承候際、令啓候、信虎女中衆之事、入十月之節、被勘易筮可有御越之由尤候、於此方も可申付候、旁以天道被相定候者、本望候、就中信虎隠居分事、去六月雪斎并岡部美濃守進候刻、御合点之儀候、漸向寒 …
妙法寺記 此年六月十四日ニ、武田大夫殿様、親ノ信虎ヲ駿河国へ押越申候、余リニ悪行ヲ被成候間、加様被食候、去程ニ地下侍・出家・男女共、喜致満足候事無限、信虎出家被成候而、駿河ニ御座候、 この年6月14日に、武田大夫の殿様 …
従信州奥へ御移候由承、内々御床敷奉存候処、御使僧并御芳札苟以畏入候、特更種々贈被下候、是亦祝着令存候、如何様来春以使者万端可申伸候、来七日駿府へ罷越候、取乱之条、早々覃御報候、非無沙汰候、委曲令付与彼御使僧口上之由、可得 …
遠江国西手中尾生城、二俣近江就上表中、斎藤四郎衛門依申、長能ニ申付就、然者西手知行分、如二俣時為不入可所務、并奥山之儀領掌訖、彼地之下人等引付致所務、有在城可励忠節者也、仍如件、 天文四年乙未年十月十八日 氏輝 判 匂坂 …
駿河国下方内大塚郷雅村太郎左衛門尉為久名主職此内神尾右京亮譲分共、并新屋名等之事 右、代々証文近日逢盗賊失却云々、縦従他之手雖出之、不可有許容、兼又親類割分事、於令同心者可為如前々、至于有異儀者、為久宜様可相計、定納年貢 …