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カテゴリー «資料»

後北条氏、竹谷源七郎・大野縫殿助に武蔵国苻川郷の隠田を摘発した忠節を賞する

「竹谷 大野」 苻川之郷一陽年来致隠田処、此度訴申間、被遂検地処、両人申上条明鏡也、然間両人ニ代官職被仰付候、并御領所之隠田申上為御褒美、今度増分定納廿九貫之内五貫文、両人ニ永被下候、猶郷中之様子御書出者別紙ニ有之、従来 …

徳川家康、岡崎城に立てこもる

 一、家康は、岡崎の城へ楯籠り、御居城なり。  一、翌年四月上旬、三州梅ヶ坪の城へ御手遣り推し詰め、麦苗薙ぎせられ、然して、究竟の射手ども罷り出で、きびしく相支へ、足軽合戦にて、前野長兵衛討死侯。爰にて平井久右衛門よき矢 …

王代記 明応年間記述

同七年戊午八月伊豆ノ御所腹切玉ヘリ。伊勢早雲御敵ニテ。 →戦国史研究27号『堀越公方滅亡の再検討』家永遵嗣  1498(明応7)戊午年8月、伊豆の御所(足利茶々丸)が切腹された。伊勢早雲(宗瑞)と敵対されて。