北条氏政、黄梅院の住持職を養珠院に任せる
黄梅院・養珠院住持職之事、哲首座・運首座無異儀候、仏法被相稼次第、速可申合候、将又、南陽院事者、各別之儀候間、右衛門佐ニ被仰合肝要候、恐々謹言、 正月十四日 氏政(花押) 黄梅院 →神奈川県史 資料編3「北条氏政書状」( …
黄梅院・養珠院住持職之事、哲首座・運首座無異儀候、仏法被相稼次第、速可申合候、将又、南陽院事者、各別之儀候間、右衛門佐ニ被仰合肝要候、恐々謹言、 正月十四日 氏政(花押) 黄梅院 →神奈川県史 資料編3「北条氏政書状」( …
黄梅院住持職并寺領之事、奉任候、急度可有御入院候、仍状如件、 天正三年[乙亥] 七月十日 氏政(花押) 養珠院 衣鉢禅師 →神奈川県史 資料編3「北条氏政判物」(早雲寺文書) 黄梅院の住持職と寺の知行のこと、お任せ …
(懸紙ウハ書)「(墨引)大藤式部少輔殿 奥州(墨引)」 注進状只今至午刻到来、披見候、仍興国寺表へ遣人衆、敵陣之於往復、敵数多打取、頸六到来、寔時分柄與云、感悦之至候、則小田原へ披露申候、定可被成御書候、猶以手前堅固之備 …
昨日者入来、遥ゝ有之而遂会面、満足ニ候、殊昨夜草を被出、敵十余人被討捕族生捕、奥州へ被差越候、心地好仕合ニ候、今日小田原江罷帰之間、委細ニ可申上候、猶関山口上ニ申候、以上、 霜月廿八日 氏邦(花押) (折紙ウハ書)「大藤 …
壬生へ加勢衆 廿挺 鉄炮 卅人 弓鑓 合五十人水海衆 右、佐竹向壬生・鹿沼、動火急ニ相催由、注進候、依之手先之衆先加勢遣候条、記右人数、能物主指添、自小山大石信濃寺注進次第、不移時日、小山へ被相移、小山衆同断ニ壬生へ移 …
於幸嶋、飯沼足軽取候模様、彼足軽疾召寄候得共、煩故不及尋、今朝召出尋候、横曽根之市江罷越者ニ候之間、敵地通達曲事之由存、取由申候、然者兼日自幸嶋下妻通用往覆可押段、我ゝ不申付処、如此致候条、細ゝ不及糾明儀、早ゝ可返旨、申 …
廿七日之状、廿八日辰刻披見、何も得心申候、東口之一ヶ条をハ奥州へ申候、堅固ニ可申付候、 一長浜之城之儀者、今朝も其方以書状、表へ申候、如何ニも尤與之儀候間、幸彼地大川其許ニ可為籠城候、様子申付可遣候、 一下田之城ニ梶原可 …
廿日之状、今廿一辰刻到来、一 矢普請之儀者、先段氏直用所ニ而是へ被尋候時、諸人聞前にて、拙者申出候、氏直同意候キ、此度之矢普請者、御曲輪之内ニ候へ共、既大構出来よりして者、曲輪之内之者すましき與云儀、有間敷候、先氏政矢普 …
(懸紙ウワ書)「(墨引)大藤与七殿 自小田原(墨引)」 於其元走廻儀ニ候間、先段如申付、濃州如下知、可抽粉骨候、城籠之時者、足軽衆も、毎度相当之普請、古今致来候間、同心被官共ニも能ゝ申付、自身鍬を取、侍・凡下共ニ可致之事 …
書状今十九披見候、鈴木被指遣模様、何も心得申候、 一曲輪割之模様尤候、兼日者、大筋目迄候、絵図を一ツ被成、役所之定之模様、推札をして可給候、是者被定儀、大途之印判罷出候、必ゝ三日中能ゝ被成、間数迄委あそはし可給候、如何ニ …