北条氏直、小幡兵衛尉に、西国勢の攻撃が近いことを報ず
「(懸紙ウワ書)「[異筆]天正十八寅三月十三到来」[墨引]小幡兵衛尉殿 自小田原[墨引]」 羽柴去三日京を立、五日之内駿河へ打着由、懸入之者共申候、然則敵之動可為近ゝ候、諸口之備堅固ニ候間、肝要候、於此上、為不可有油断、 …
「(懸紙ウワ書)「[異筆]天正十八寅三月十三到来」[墨引]小幡兵衛尉殿 自小田原[墨引]」 羽柴去三日京を立、五日之内駿河へ打着由、懸入之者共申候、然則敵之動可為近ゝ候、諸口之備堅固ニ候間、肝要候、於此上、為不可有油断、 …
字之儀承候、進之候、又夜前さい藤書付披見、心地好専要候、又何方之押ニ候哉、昨日の所ならハ、昨日の松山与上州衆あかり候高山と、其間往覆の道ニなわしろ共多候キ、うちはを入こね候由、尤候、乍次申候、 以上 「(ウワ書)房 …
先段之文、其砌返答ニ可及由存候へ共、障故遅ゝ、無沙汰ニ無之候、又此度之書付披見、誠祝着無是非候、於氏直一代、其方ニ無沙汰有間敷候、八幡大〓(草冠+廾)偽ニ無之候、向後之儀、万端ニ付而可被申越候、又存分も候者、無内外可承候 …
「[懸紙ウワ書]小幡兵衛尉殿」 覚 一西国衆至于沼津近辺打着由候事、 一其山手備模様之事、 一在陣之人衆之着到書立、可被指越事、 以上 二月廿四日 「[貼紙][「調」朱印]」 小幡兵衛尉殿 →小田原市史2031「 …
[懸紙ウワ書]「「天正十八二月六日到来」(異筆) [墨引]小幡兵衛尉殿 自小田原[墨引]」 其元高山之在陣、別而苦労察入候、仍樒柑一籠・一種・江川一樽、進之候、恐ゝ謹言、 二月五日 [貼紙]「氏直(花押)」 小幡兵衛尉 …
小幡家中申事有之間、以房州及下知候、雖然、万乙不聞届者、可加退治候、至于其儀者、自房州可有一左右間、人衆払而召連有参陣、万端房州相談、可被走廻候、在所程近候間、郷人一揆以下迄相集、一途可被走廻候、恐ゝ謹言、 九月廿五日 …
其已来者不申承候、御床敷候、其元如何様之御遊山候哉、承度候、当表無相替儀候、可御心安候、仍散ゝ候へ共、自身調合之間、一つゝミ進之候、并一種進候、猶重而可申候間、不能具候、恐ゝ謹言、 二月四日 氏直(花押) 小幡兵衛尉殿 …
一札披見、祝着候、作倉普請之儀、悉出来、明隙候、東表申寄者数多有之間、可及一行ため、今十日関宿迄着陣候、将又其已来御床しく候、為如何今度者無御出陣候哉、無御心元候、内ゝ自是可申述由、八幡ゝ存候へ共、無手透故遅ゝ、御無沙汰 …
来十六日、下総松戸へ可為着陣候、道筋者、房州然与一同可為尤候、恐ゝ謹言、 十一月五日 氏直(花押) 小幡縫殿助殿 →小田原市史1708「北条氏直書状写」(東京都杉並区小幡徹氏所蔵) 小田原市史・後北条氏年表ともに天正1 …
今度者、乍毎度之儀人衆在陣、苦労之至候、仍任現来、両種一樽、進之候、委曲令期末信之時候、恐ゝ謹言、 七月三日 氏直(花押) 小幡上総介殿 →小田原市史1747「北条氏直書状」(東京都練馬区松田仙三所蔵小幡文書) 小田原 …